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プラタナス若葉賞 『煙草の香り』 袰地 晴貴 君(中学3年生 15歳)

 今日で二十歳になり、初めて購入した煙草を部屋でふかしてみた。
 そして、ふと鼻に入った煙草の匂いが何処か懐かしいような、そんな感じがした。疑問に思った僕は直ぐ過去の記憶を探ったが、中々見つからない。仕方なく2本目の煙草を口にして、ゆっくり思い出すことにした。
 いつの記憶だろう。高校?いや違う。中学、それも違う。いつの頃だろう。そんなことを思いながら、2本目の煙草を窓から捨てようとし、溜息を吐いた。そして溜息と同時に、思い出した。
 「嗚呼。……父さん」
 僕の父は小学3年に上がる頃、末期癌を患っていた。医者からは、もう1年持たないと言われ、母はひどく泣いていたのを覚えている。だが、父は戦った。少しでも生きようと。しかし、現実はそう甘くなかった。闘病して1年と半年、父は帰らぬ人となった。その日は母も僕も泣いた。
 父が癌だと宣告された日よりも、何倍も、何倍も。
 そんな父との思い出、いや、印象は、よく煙草を吸う人であった。
 「ヘビースモーカー」父はそれになると思う。一日二箱は当たり前、僕の幼少期は、ほとんど煙草の煙で埋め尽くされた思い出しかない。まぁ、癌を患ってからは煙草を吸うことはなくなったが。
 そんな父はよく煙草を捨てるとき、溜息を吐くのが癖だった。癌になると吸えなくなるからと、スティック菓子を口にくわえながら、「嗚呼、やっぱり煙草がすいてぇ」と言いながら、溜息ばかりついていた。
 煙草を吸いながら、今父は天国で、傍で僕を見守ってくれているだろうか。
 時々そんなことを思う。僕が煙草を吸っている姿を見て、「煙草は体に悪いぞ」なんて怒るのではないだろうか。
 または、「やっぱり俺の息子だなぁ」なんて遠い目をしながら言うのではないだろうか。そんなことを想像していると、自然に笑みがこぼれた。
 父との思い出は数少ないが、どれもこれも、今も鮮明に覚えている。自分の頭の中では「父=煙草」みたいで、煙草を吸うと、この日以来も時々不意に思い出すことが多くなった。
 同時に、煙草を吸うのは決まって嫌なことがあった日や、苦しく悩んでいるときに多いことに気が付いた。結局父は思い出の中で生きているのだなって、苦笑いしながら思った。
 「ありがとう」
 この日は珍しく、何もないのにまた、煙草が吸いたくなった。