一次選考通過 『母の手』松井 遙
「生きている意味がわからない。私なんて、いなくなればいい」と口に出してみた。
傍らでその言葉を黙って聞いていた母。
何もかもがどうでもいいと、むしゃくしゃしていたあの日。
私は居た堪れなくなり、薄着のまま、吹雪の外へ飛び出した。
何も考えず、走り出したくなった。
視界は真っ白だ。
私はあろうことか、足を滑らせ川に転落した。
手足の痺れで気がついた、真冬の川の水の冷たさを知る。
私は自分の背丈よりも髙い、雪の崖から転落したのだった。
どんなに跳ねても、届きやしない。
雪の崖に手足を食い込ませようとしても、がりがりと崩れていくだけだった。
川に突っ込んでいる足がさっきまであんなに冷たかったのに、燃えているかのように熱く感じる。
「死にたくない」と泣きながら雪の崖を、感覚のない両手でよじ登ろうとしたってもう遅い。
このままだったら、生きていられないという事はわかった。
こんな吹雪の中、凍てつく川原を散歩している人がいる筈もないのだし。
「助けて!」という言葉だって、吹雪の声に掻き消される。
「私、さっきあんな事を口にしたから、罰が当たったのです」と、ただ思った。
軽率だった。
そんな中、私を呼ぶ母の声がした。
母は、一目散に川へ飛び込んできた。
何の迷いもない姿が、信じられない程だった。
寒さに震えながらも、雪の崖の上へ私を押し上げる母の手。
母のおかげで、私は助かった。
私は雪の崖の上から、凍えた手を母に差し出す。
しっかりと握られた母の手を精一杯、引き上げる。
心配かけて、ごめんなさい。
寒い思いをさせて、ごめんなさい。
馬鹿な娘で、ごめんなさい。
「帰ろう」と私の手を引く、母の手。
そうだった。
幼い日の帰り道も、そうだった。
ここにあるのは、いつだって変わらない、母の手だ。
「生きている意味がわからない。私なんていなくなればいい」なんて二度と口に出さない。
私は私に約束する。
あの時の母の手が、今でも私を支えている。