一次選考通過 『ああ、よかった』 P.N./大田さと
「母さん、今日はあったかいから散歩に出てもいいって先生が言ってたんだ。今車いすを用意してもらうから、少し待ってて」
お父さんの声が少しだけはずんでいる。今日から六月だって朝来た看護婦さんが教えてくれたのよ。天気もいいから、ご主人がいらしたら散歩に出られるかもしれませんねって。
だから今日はお父さんを心待ちにしてたの。嬉しいわ。私がそう答えると、私の体がゆっくりと浮き、そっと下ろされて温かな毛布が掛けられた。
久しぶりの太陽の匂い。子供の声。顔に柔らかくふれる風も、陽の温かさも、全部わかりますよ。何も見えなくても、何も話せなくても。
「朝病院に来る途中にライラックが咲いているのを見つけたんだ。白いやつでさ、きれいだったわ」
お父さんは笑みを含んだ声で私に話しかける。そして不意に車いすが止まった。
「ああ母さん。ほら、そこにも咲いてるわ。紫のライラックが」
そうね。いい香りがするもの。私は昔見たライラックの紫を思い浮かべると、ふと額にお父さんの分厚い手が触れた。
「アスパラの天ぷら、食いてえなあ。母さんの揚げるのが一番うまいもな。あと時鮭のフレークも。買ってきたフレークはなんだかうまくねえんだ」
お父さん、ごめんなさいね。倒れた日、買ってあった時鮭をフレークにしようと思ってたのよ。でもなんだか体がだるくて、明日でいいかって思ってしまったの。こんなことになるなら無理してでも作っておけばよかった。あんなの簡単にできるのに。引き出しのノートを見つけてくれるといいんだけど。そうだ、きっといつか里良が見つけてくれるわね。あの子が来た時はいつも私の引き出しを開けて色鉛筆を出してお絵描きしていたから。私は札幌に住む孫娘の里良を思い浮かべた。リラはライラックのフランス名だ。娘が新婚旅行で行ったフランスを気に入り、ライラックの咲く季節に生まれた娘に里良とつけたのだ。そうだ。あと三日で里良は四歳になる。私が病院にお世話になって二年になるんだから。
「明日里良の幼稚園の運動会だから、ちょっと札幌に行ってくるわ。正月以来会ってないもな。おっきくなってるべな」
お父さんはそういうと、またゆっくりと車いすを押してくれた。
月曜日。
「里良おっきくなってたわ。楽しそうだったあ。かけっこなんて隣の子とニコニコしながら走ってるんだ。そして二人して仲良くビリッケツでさ。大笑いさ」
お父さんは私の手を握り、本当に楽しそうに話を続けた。
「香里の作った弁当もうまかったわ。おにぎりの鮭フレークが母さんのと同じ味だったのさ。里良の好物が鮭フレークなんだって香里が笑うんだ。正月に里良が見つけた母さんのノート見て作ったらえらく気に入って、毎日ごはんにかけて食べるってきかないんだとさ」
ああよかった。心残りだったフレークをみんなに食べさせてあげられて。私安心したわ。みんなが幸せそうで。ありがとう。愛してますよ、お父さん。