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一次選考通過 『しあわせ時間』 髙野 ひろみ

 子供の忠告などには耳を仮さない、可愛げのない母だった。子供のすることには人一倍口うるさい、うざい母だった。御年77才。大人になっても親からみれば子供は子供と言いきり、親という鎧を外すことはなかった。
 ある日バリバリ元気印の母が、ぜんまい仕掛けのねじの切れた人形のように動かない。はて、どうしたものか。救急車で運ばれた先で告げられたのは脳梗塞。いやいや先生、持病は心臓、なので脳であるわけがない。頭の回転は早いし、計算も早いし、可愛げないし、うざいし。心の中で意味不明なことを叫んではみたものの、病状に適した治療がすぐさま始まった。
 神様、仏様。気軽にでる言葉に心底すがったことはない。なのに今回ばかりは意識せずとも脳裏を駆け廻る。可愛くなくてもいい、口うるさくてもいい、どうか神様仏様、助けてください、お願いします。
 そうして数日後、気丈な母はいなくなった。正確にはその変りなのだろうか、すっかりアクの抜けたわらびのような気負いのない母とおもわれる人がそこにいた。入れ歯を外した顔など見せたことがない、それすら弱味とおもうのか、初めて見る顔に、あら、意外とかわいいんじゃない。
 まもなく未知の生活が始まる。入れ歯を洗い、髪の毛を束ね、着替えを手伝う。ごはんの支度やトイレに付き添い、お風呂に入れる。考えもしなかった俗にいう親の面倒をみる、という行動が子育てをしていない私は日に日に面白くなってきた。アクの抜けた母は頗るかわいい、親バカならぬ子バカと言うのか介護が楽しくてしょうがない。手が動き、足が動き、無表情から笑顔になり、持ち前のがんばりもあって何年もかかったけれど、ひと通り自分のことができるようになってきた。欲もでてきた。食べたいものや見たいもの、聞きたいことやしたいこと。一生懸命生きてきたのだ。この先好きに過ごせば良い。
 ところでアクの強い癖のある、あの性格はどこへ行ってしまったのか、先生が血栓と共に取ってくださったのか。
 そういえば最近の私は、「ほれ、何してるの」「ほれ、言ってるでしょ」とほれほれおばさんになっている。こんな子だったかな、と首を傾げる母に、育てたように子は育つと可愛いげのないことを言い放っては煙たい顔をされている。それでも良い、こんなに楽しい時間と一緒に過ごせる環境を頂いた。
 神様と仏様はひょっとして、母ではなく私を救ってくださったのか。それではもう少し願い事を、とはいくら何でも恐れ多い。
 ならば亡き父よ、その日がくるまで見守っていてください。