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一次選考通過 『秘密』 山崎 篤子

 教会は、このプラタナスの並木を過ぎた先にあったはずだ。瑞希は三十年前の記憶を辿りながら歩を進めた。自分でも分からない衝動に駆られて病院を抜け出し、朝一番の汽車に飛び乗ってここまで来てしまったけれど、今頃夫は私の姿が見えないことを不審に思っているだろう。
 遠くに雪を抱いた大雪の山並が、眩しく光っていた。五月の北海道の風はまだ冷たくて、急に不安を覚えた瑞希は足を速めた。
 教会はあった。うっかりすると見逃してしまいそうなほど、慎ましやかにこじんまりと街中に佇んでいた。中はひんやりとして薄暗い。
 朋子、あんたのお葬式以来だね。瑞希は囁いた。来なかったのか来られなかったのか、自分でもよく分からない。私雄三さんと結婚したのよ。貴女が結婚するはずだった雄三さんと。もし貴女がトムラウシで滑落したりしなければ、私はあなた達夫婦のいい友人で終わったわね。恋心をそっと隠したまま。
 彼、今病気なの。一ヶ月持たないかもしれない。
 朋子に初めて出会ったのは大学の入学式の時だった。何となく視線を感じて振り向いた先に彼女がいた。その年の夏休みには彼女の実家に遊びに行き、忘れられない一夏を過ごすことになった。初めての北海道旅行。登山が趣味の彼女に誘われて、山にも登った。きつくてあれだけは勘弁してほしかったけれど、そのお陰で雄三と知り合えたのだから文句は言えないと瑞希は思ってきた。山小屋で、三人共同じ大学だということが分って本当にびっくりしたものだ。
 瑞希が朋子の魅力の虜になったように、彼もまた彼女に惹かれていくのが手にとるように分った。一足早く社会に出た雄三と婚約した年の晩秋、一人大雪からトムラウシの縦走に向かった朋子はそのまま帰らぬ人となった。
 雄三が朋子の影をずっと引きずっていることは分っていた。子供が出来ていたら少しは違っていたかもしれないと瑞希は思う。
 「死ぬのも悪くないな、彼女に会える」
 昨夜、病室のベッドの上でぽつりと雄三が呟くのを聞いた瑞希は激しい衝撃を受けて、思わず口から出かけた言葉をかろうじて飲み込んだのだった。
 (知らなかった?朋子が愛していたのは貴方じゃなくて私だったのよ)
 あの時葬式から戻ると一通の手紙が瑞希を待っていた。一言、貴女を愛しているわと書かれた手紙。差出人の名前は無いがまぎれもなく朋子の筆跡だった。平凡で何の取り柄も無いと言う瑞希を、そこがいいのに自分では分からないのねえと朋子はよくそう言って笑ったが、手紙のことは誰にも打ち明けられないまま封印してきたのだった。
 帰ろう。朋子が自殺を選ぶとは思えない。真相は永久に分からないのだもの、秘密は秘密としてこれまで通り自分の胸に収めておこう。
 ゆっくりと教会の扉を開けると、薄暗い中からいきなり眩しい外の光に目が眩んでちょっとたじろいだ後、瑞希は力強く一歩を踏み出した。