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一次選考通過 『バイ・バイ』 吉村 敏子

 夫をガンで亡くして早9年が経とうとしています。長女を大学へ行かせる為、平成15年夫は単身で東京へ行きました。大手のタクシー会社で一生懸命働いて仕送りをしてくれ、無事、大学を卒業させる事が出来ました。夫には大変、感謝をしています。夫が他界した翌年の春、すぐ上の夫の兄もやはりガンで帰らぬ人となりました。夫は3人兄弟の末っ子で数年前には、長兄も自殺をしてこの世を去りました。義姉も亡くなり何でこんなに次から次と亡くなってしまったのか。義母は息子達を看取り、最後に94歳の人生に終止符を打ちました。義母も大変、苦労をした人で玉ねぎ農家をしていたのですが、夫を結核で何年も看病して亡くし、次男夫婦と一緒に住んでいました。自分の息子を3人共、先に亡くしてしまい、どんなに辛かったかと思います。最後、次男の長男と二人で生活していましたが認知症を患い、グループホームに入居しました。私は旭川で離れていましたが、娘達と何度となくホームを訪れ、義母に会いに行きました。買っていったのり巻きといなり寿司をほおばっていたのを思い出します。幸いな事に最後迄、私達の事は覚えていてくれてよかったと思っています。洗濯物もたまれば朝早く旭川を出てホームにとりに行き、又翌朝持っていったりしてました。仕事をしてましたので大変でしたが、こんなに義母に尽くしても尽くしきれないくらい、お世話になったのです。夫は商売をしていたのですが、あまりうまくいかず手形が落ちなくてお金を借りたり、子供達の進学にむけての教育資金を援助してもらったりと大変、お世話になりました。お洒落な人で、洋服はいつもオーダーで、きちっとした人でした。何回目かの面談の時、帰りがけ、義母が椅子から立ち上がり大きな声で私達に「バイバイ」と手を振っていたのです。その時は娘達と元気でいいねと言っていたのですが、その一週間後、肺炎で甥っ子一人に見守られ、あっけなく、この世を去りました。今でも思い出す人です。あの「バイバイ」が、私達に最後の別れを告げていたんだなと今でも思い出すと、泣けてくるんです。頑固な人で、あまり評判はよくはありませんでしたが、私達にとっては、かけがえのない義母でした。夫のすぐ上の兄が亡くなった時、葬儀の席で、すっかり小さくなった義母がその細い肩を震わせて泣いていたのを後ろから見てて、かわいそうで胸が張りさけそうでした。お正月には家族みんなが集まり、ワイワイ楽しく会食していたのに、何でこんな事になってしまったのかと嘆かないではいられません。そして、今、改めて、義母に、声を大にして言いたいです。「お義母さん、本当に、ありがとうございました」。天国で息子達に囲まれ、楽しく過ごしてくれています様に。