月刊フィットあさひかわは、旭川市・近郊町市村の気になる情報を取り上げてお届けします!

第10回 プラタナス大賞 作品発表

大賞 『おにぎり』 高市 佳子

 小学校六年生の冬、スキー遠足のその朝、私は自宅を出てウッペツ川沿いの通学路に、お弁当だと渡されたおにぎりを雪に埋めた。母が病気がちな家は、父がお弁当を作ってくれていた。ずっとみんなからからかわれるのが、嫌で仕方なかった。
 父のおにぎりは野球ボールより大きく、まんまるで、全部にのりを巻くのでまっ黒だ。私の手の掌におさまるどころか、まん中の具にまでなかなかたどり着かない。大きいまっ黒なおにぎりを両手で少しずつ食べる光景が友達から見たらおもしろいらしい。
 「おまえのおにぎり石炭みたいだな」ってよく笑われた。だから最初にのりだけ食べて、その後に米を食べた。父さんにはいつも言っていた。
 「おにぎりもう少し小さくして……」って。
 父さんは笑って言った。
 「オレ、手がおっきいから、ちっちゃいのはできないぞ」
 この会話も何度しただろう。
 雪が融け、春を迎える旭川のこのあたりは景色がとてもきれいだ。大雪山が真正面にそびえ立ち、左手には春光園という緑多き公園もある。通学路で歩く道なりに見つけてしまった。あの時埋めた父のおにぎりを…。
 胸が高鳴り、思わず小走りになった。何も考えずにそのおにぎりをウッペツ川に投げた。一瞬でおにぎりは沈み、もうどこにあるのかわからない。父の笑顔が浮かび、同時に私は泣いてしまった。父のごつごつとした手も浮かんだ。誰かに見られたかとあたりを見回した。誰にも見られていない。余計に心が痛くなった。
 旭川に春が訪れるとよく山菜を取りに行く父。山で食べるおにぎりを父は自分で握る。そのおにぎりをリュックに詰める父を見るたびに、私はあの日の事を思いだす。娘のおにぎりを握る父の気持ち。そのおにぎりを捨てた私の気持ち。そして捨てたおにぎりを川に投げたあの時の私。その私を知らない父。小さな罪を消すことも忘れることもできず、私は今、母になっている。
 娘におにぎりを握る時に、必ず私はあの石炭おにぎりを作る。本当に嫌だった石炭おにぎり。ばかにされた石炭おにぎり。今だに捨てたおにぎりを思い出し、父の顔を思いだして胸が痛む。おにぎりを食べながら、自分の手を見る。あの時の私…小さかった…。
 あの石炭おにぎりを握った父の手は…。
 私を育ててくれた父の手は…。母を支え、私を支え、一生懸命に何もかも支えてくれた父の手は私の命の一部だ。
 ありがとうとごめんなさいが交差するこの気持ちを、これからも抱えて過ごすだろう。
 旭川で生まれ育ち、今もこの地で暮らす私。ウッペツ川沿いを自転車で通学する娘の背中を見送る私。おにぎりを捨てたあの場所にはたんぽぽが咲いている。

準大賞 『母』 ペンネーム 流川 真理

 五月晴れの下、日傘をさした母は私のゆっくりした歩調にもなかなか付いて来られなかった。予約の時間より少し早いので旭川西武店の前にあるベンチに二人で腰掛けて時間が来るのを待つ。二人で旭川に来るのは本当に久しぶりだ。
 「髪を染めるのをやめる」まだ雪が残る頃、母がポツンと言った。地肌が透けるようになってもきちんと髪を染め、美容室で髪を整えいつも身ぎれいにしていた母。七十代後半という年令は、オシャレでいたい心も疲れさせてしまうものなのか。確かに母は近頃銚子が今一つで表情が険しくなった。血液検査は良好で家族はホッとしていたが、早く元気になってほしかった。
 私は母にカツラを提案してみた。テレビCMのモデルは不自然でなかったし、髪にボリュームが出ると若く見える。乗り気になったようには見えない母が首を縦に振った。私が電話予約を入れたとき、もう購入に必要なお金を財布に押し込んでいた。「見てからでもいいんだからね決めるの」。しかし母は何度も行くのはイヤだからと言って、行政手続きにでも行くかのように義務を果たしに旭川へやって来た。安い買い物ではないのだから似合いそうでもなければキッパリ言ってしまおう。でないとすすめられるまま買ってしまいそうだ。
 母に合わせてくれたカツラは、娘からみても悪くないと思った。本人も気に入ったということで購入決定。しかし本人になじませるため、あと二回足を運ばなくてはならないと聞いてガッカリしていた。さっさと買って帰ってきたかったらしい。しんどいのにごめん。
 二回目の日は暑い日だった。母はさらに歩くのが遅くなった。改築工事中の旭川駅を見て来ようと誘ったが、駅内のベンチに座り、うろうろ見て回る私を待っていた。戻って来ると疲れた母の顔があった。二十代の頃、母と旭川の街に本当によく来ていた。ウインドウショッピングをして、お茶タイム、夕食の惣菜を買って…戻れない現実が胸を刺す。
 「見てきたよ」。母は小さく微笑んで、ゆっくりと立ち上がった。
 三回目が終わり、母はカツラを付け私と少しだけ街を散策して帰って来た。カツラを付けた母を見た父は「似合う」と言わなかった。似合わないと言ったわけでもないが…。
 結局母はその後一度だけカツラをかぶったが、七ヶ月後亡くなった。末期ガンが見つかる三カ月前に、母は私と最後の旭川へ行ったことになる。母も娘も末期ガンとは知らず、ベンチに腰掛け、暑い旭川の街を見ていた。母とよく来た頃の買物公園には、人目を引くファッショナブルな女性が沢山歩いていた。心が浮き立つ街だった。
 タイムスリップしている私のとなりで母は何を見ていたのだろう。あの時母も私と同じ景色を見ていたような気がしてならないのは私の一人よがりな感傷だろうか。母を亡くして思う。娘孝行な人だった。重い体を引きずって私について来たあの日の高価な買い物は娘への心づかいだったんだなと。
 母のカツラ姿を誉めなかったのに、父は棺にカツラを入れた。

三浦綾子記念文学館特別賞 『母の預金通帳』 長谷川 裕二

 私が強いてきた苦労がたたったのか、古希を境に高血圧症・動脈硬化症・糖尿病といった生活習慣病が顕著になった母は、関節リウマチも発症して歩行がおぼつかなくなっていき、現在は複数の医療機関で治療に専念している。
 冬将軍が居座るある日の朝、いつものように母の通院に付き添うべく、冷たくかじかむ手でハンドルを握った。
 道中、凍て付いたバス停にたたずむ老女の姿を見て、不意に心が冷えた。買い物へ出掛けるには早すぎる時間帯でもあるし、もし老女も通院のためにバスを待っているのだとするなら、身を切るような酷寒の中、気の毒な話でもある。他人様の抱えている事情を詮索するつもりなど毛頭ないが、外出先に連れて行ってくれる家族は誰もいないのかな?と首をかしげるだけで、ヒーターの効いた車内でさえも呼吸が氷に化けそうだ。
 「こんなに寒いのに。あのお年寄りには申し訳ないけど、母さんには裕二がいてくれるから通院に不自由しなくて助かるわ。おかげで家の玄関から病院の玄関までだもの」
 後ろの席の母もあの老女に気づいた模様だが、私と同じ感情を吐露したというよりも、むしろバス停にたたずむ老女に半世紀以上も前の自分の姿を重ねていたのだろう。
 1960年に国内で死者が続出した伝染病の“小児まひ”を知る人も今は少ない。乳幼児の脊髄を蝕み、呼吸筋や手足の動きをそぐポリオウイルスに、生後1歳余りだった私も感染し、四肢に深刻なまひが現れた。死んだみたいにぐったりと動かぬ私をおぶり、雨の日も雪の日もバスに揺られて、肢体不自由児のリハビリ施設に2年も通ってくれたのに、結局は重い後遺障害のせいで、一度きりの青春をむしり取られる定めをあてがわれた。
 醜い容姿を理由に受けた子供時分の意地悪は泣いて済んだが、社会へ出て被った嫌がらせは陰湿で、やり場のない怒りのはけ口を、罪のない母に向けてばかりの毎日だった。
 罰が当たったにも等しい。機械油にまみれての重労働も災いし、40歳を目前に力尽きてしまい、医師に「もう一般の就労は無理です。入院が必要です」と診断された私に、母は「医師の診断に背いて命を落とすより、粥をすすってでも親より長く生きる事を考えなさい。裕二が、裕二自身の体に痛めつけられてきて、つらかったと思う」と慈悲深かった。
 罪滅ぼしと言えば聞こえも良いが、歩けなかった私をおぶってくれた日々は取りも直さず、母は私という“預金通帳”に老後の通院手段を金銭ではない形として積み立てていたのだと捉え、今日に至っている。これからもすべての通院に付き添うし、利息分もあるので、年に二回や三回は故郷の旭川へも連れて行きたい。
 今春、めでたく傘寿を迎えた母に、いまだに後ろめたい気持ちが一つだけくすぶり続けている。私が小児まひを患った段階で消えていなくなっていれば、母の人生はもっと自由で楽なものだったに違いない。そう思うたびに涙腺が緩んでしまう。

新芽賞 『いざ、ふるさとへ!』 北川 琴花

 ぼくの名前はサッケー。ぼくはここの場所がすごく気に入っているんだけど、どうしても行かなくちゃいけない所があるんだ。
 えっ、どこに行くかって?『ふるさと』に帰るんだよ。どうやって子どものころにいた場所に帰るかって?『におい』だよ。あのなつかしい『におい』をたどって帰るんだ。スイ、スイ、スイ…。
 「あ、別れ道だ!」
 クン、クン、クン…。
 「こっちかな?いやこっちかなぁ?うーん…こっちだ!」
 スイ、スイ、スイ…。
 おや、前に魚がいるぞ…あれはフナ達だ!
 「おーい、何をしているんだい?」
 「あ、サケくんだ。今、ご飯を食べているんだよ。きみも食べる?」
 「ぼくは今、何も食べないんだ。」
 「えー、こんなにおいしいのに?よく食べないでいられるねぇ」
 (フナ達はサケがふるさとに帰る時、何も食べないことを知らなかったのか…)
 「おーい、あっちにもご飯があるぞ。ういているけど…」
 「わたしが食べるー!」
 「待って、それは人間のわな!…あ、行っちゃた…」
 「フナさん達はご飯を食べる分、大変なことがあるんだね」
 「そうそう」
 「みんな、こっちにあるご飯はワナじゃないよ。食べに行こう!」
 「うん!サケさん、さようなら!」
 「フナさん達も、さようなら!」
 (色々大変そうだけど、仲間がいて楽しそうだなぁ…)スイ、スイ、スイ…
 ねぇ、見てみて!前に大きな橋がある!その近くに赤や黄色の木があるよ!
 「おーい、サッケー!」
 「戻って来たんだ、サッケー!」
 「サッケー、おそいぞ!」
 「はやく来てー!」
 あれはなつかしい仲間達の声だ!
 「今行くよー!」
 ザブン、ザブン、ザブン…。
 そう、ここは水がだんだん冷たく、急になっていく流れにさからってでも帰りたかった、ぼくの『ふるさと』。そして仲間達がいる、ステキな場所。
 「ただいま、石狩川!」

若葉賞 『青い宝石』 中野 由唯

 ~彼女は奇跡の塊だから、もしかすると、青い薔薇なのかもしれない~今はそう思うんだ。
 僕は、書店である一冊の本と出会った。その名は「奇跡」。作者は、僕と同名の「有川隼人」。あらすじによると、青い瞳の男の子が主人公だ。僕は、高校生の頃に会った「琴吹奏」という女の子を思い出した。彼女も青い瞳だったからだ。「これは運命かな」なんて思って、買って帰ることにした。
 主人公の男の子は、一日にあった出来事などを次の日まで覚えていられないという記憶障害がある。そのため、メモ帳で過去の自分と今の自分をつないでいる。
 そして、高校生になった彼は、ある女の子と出会う。彼女は、彼に「あなたの青い瞳、きれいだね。宝石みたい」そう言うのだ。彼は明日になれば、全てを忘れてしまう自分に恐怖を感じる。
 だが、次の日、学校に行くと自分に起こった変化に気づく。彼女のことを覚えていたのだ。そのときから彼は彼女だけを信用するようになる。自分に起こった奇跡は、運命なのだと考えるのだ。
 その後、彼女との幸せな日々が続き、冬になる。休日のある日、妹に「ペンギンのお散歩」が見たいとせがまれ、動物園に行く。そこで彼女に会うのだ。そして、動物を見てまわりながら、沢山の話をする。例えば、自分は作家になりたいとか、青い薔薇が好きだとか。あと、青い薔薇の花言葉は、「有り得ないこと」「奇跡」そして、「神の祝福」だということも。彼女の笑顔で彼は、一番幸せな日だと感じた。
 しかし、その日の夜、両親から引っ越しの話をされる。彼は抵抗も出来ず、引っ越しが決定してしまう。
 引っ越しの日、彼女は二人の目印にと、青い薔薇のネックレスを渡す。彼は、ネックレスを手離さないことを約束して別れを告げる。
 ここで物語は終わった。僕は驚きを隠せなかった。奏との思い出にあまりにも似ていたためだ。異なるのは、性別と記憶障害だけだった。もし、奏が主人公と同じ記憶障害だったなら…。じゃあ、何のためにこの本を書いたのか。僕に会いたいと伝えるため?
 あの本を読んでから、青い薔薇を見たくなった。何かわかるかもしれない、そう思ったから。花屋に行くと、店員にないと言われてしまった。仕方なく帰ろうとしたとき、ある人の姿が目に留まった。腰まで伸びたストレートの黒髪。華奢な小さい身体。宝石のように甘くきらめく、青い瞳。それに、首に光る青い薔薇のネックレス。彼女も僕に気づいたのだろう。視線がからみ合う。彼女は少し口元をほころばせ、「隼人くん?」と朗らかなやさしい声でささやいた。

入選 『天国へ投函した手紙』 鈴木 道子

 「突然ですが、大好きな人を見送った経験はありませんか。その人に心の中で会ってみたいと思いませんか」と、ラジオから流れてきました。
 「心の中で会ってみたい人、いるわ。時々手紙も書いているけれど、まだ、出せないでいるの」と、独り言をつぶやきながら、ラジオに耳を傾けました。
 とても大事にしている物があります。色が褪せないように、ビニールケースに入れて、家計簿の引き出しの奥に入れてあるのです。
 それは、十八年前の六月、四十六歳で旅立った妹からの最後の手紙です。当時は、封筒を見る度、涙が出ましたが、時間が悲しみを忘れさせてくれました。時々、出して読み返して、妹を偲んでいます。
 亡くなる前の年の八月、社員旅行で札幌へ行くから寄る。荷物を送るから受け取っておいて」と、電話がきましたが、荷物が届かず心配していました。
 「胃の具合いが悪く、入院し検査をしたら、がんで余命六か月と、言われた」と、妹の夫から泣きながらの電話がきました。まだ告知はしてないと、言います。
 「日光へ旅行する途中に寄る」と、口実をつくり、わが家の庭で採れたリンゴを持って見舞うと、「旭川のリンゴは特別な味がする」と、おいしそうに食べる姿に、一寸、安堵しました。
 長女の私と、末っ子の妹は、十二歳の年の差はありますが、中、三人が男のせいか、とても仲が良かったのです。
 結婚して、旭川、神奈川と離れましたが、手紙や電話でのおしゃべり、三、四年おきの訪れで、優佳良織工芸館や神楽岡へ桜を見に行ったりしたのが目に映ります。
 入退院を繰り返しながら、「娘の結婚式に出たい」と、夢を持ち続けて六か月が過ぎ、「もしかしたら」の、希望をもったのですが。
 自らの死を覚悟したのでしょうか、結婚前の娘、大学生の息子の喪服まで用意してありました。よく、泣きながらの電話を寄こし、電話口で私も、何度、泣いただろうか。
 返事を出すことが出来なかった手紙には、「もし、治ったら旭川へ遊びに行きたいです。その時はよろしくね」と、書いてあります。
 あの世へ逝ってしまいましたが、忘れられない妹です。「旭川は、今、とても良い季節です。千の風に乗って遊びに来てください。あなたが好きな動物園へ、また一緒に行きましょ」と書いて、天国行きのポストに投函しました。

入選 『未来』 小笠原 章仁

 「平和通にはな、じいちゃんが小さいころは車が走っていたんだぞ」
 そう言ってみたもの、愛奈はまったく興味を示さない。無理もないことか。私は思わず苦笑してしまった。
 旭川駅に降りたときは妻と娘も一緒だったというのに、2人ともバァバとママであることを放棄して、ジィジに孫姫を押しつけるようにして西武の中に消えていった。
 まあいい。お前たちがそのつもりなら、この間にお前たちもうらやむくらいの関係を愛奈との間に構築してやろう。思いっきり愛奈を甘やかして愛奈にとりいるのだ。そのときになった吠え面をかいても知らないぞ。
 だけど何を話せばいいのだ?帯広に住む孫姫とはめったに会わないだけに、愛奈がどんな話を喜ぶのかがわからない。思い余ってついつい昔話が口をついて出るが、そんな話が愛奈とかみ合うわけがない。
 「買物公園も昔は人がたくさん歩いていてな、4条にあった手の噴水のところなんかすごく賑わっていたんだぞ。じいちゃんも中学生のころはデートの待ち合わせに使ったもんだ」
 ちょっと照れながらそんな話をしてみるが、3歳児は何の興味も示さない。そりゃあそうだ。ジィジが中学生のころのことなど話されても、愛奈に想像できるわけがない。
 そんなのは自分が子どもだったころのことを考えればすぐにわかることだった。平和通が買物公園になる前のまだ車が走っていたころ、祖母に連れられて一緒に歩いたことがあった。そのとき祖母は「いまは平和通といってるけど、昔は師団通といって…」などと昔話をしていた。一緒に歩いてそんな話をされたということだけは記憶に残っているけれど、話の中身はまったく覚えちゃいない。子供にとって過去はほんのわずかしかなく。未来は無限に広がっている。だから過去を振り返ることなんかできやしないのだ。いくら過去のことを話されても、興味を持てるはずがない。
 思い起こせば、中学・高校のころ、一番嫌いな教科は歴史だった。すでに終わってしまったことを勉強して覚えなければならないということがどうしても理解できなかったのだ。そのころは過去なんてどうでもいいことで、未来だけが重要なことだと思い込んでいた。
 でもいつしか、そんな自分が歴史小説を読み漁るようになった。歴史的建造物や遺構などを好んで見るようになった。自分には残された未来よりも辿ってきた過去の方がずっと多くなってしまったせいだろうか。
 「愛奈、このおじちゃん大好き」
 孫姫は突然、『サキソフォン吹きと猫』の彫刻と戯れ始めた。
 「そうか、愛奈はこのおじちゃん好きか。どうして好きなんだ?」
 「だってかわいいんだもーん」
 無邪気にはしゃぐ孫姫の姿を見て、この子たちがいつまでもこうして笑顔でいられる未来を作り出すのが私たちの役目だと思えた。
 やがてこの景色が愛奈にとって懐かしい景色となる未来が来るのだろう。その景色の中に彫刻とともに自分の姿があるのだろうか。そう思うと彫刻に少し嫉妬を覚えた。

入選 『ラブレター』 五十嵐 法子

 「お母さん、大丈夫?」
 後部座席から娘が聞いてきたが、私は何も答えなかった。車窓の外では、石狩川が暖かな日差しを反射して輝き、街は既にピンクと新緑に染め上げられている。鮮やかな春とは対照的に、私は冷たい白黒の主人の遺影を抱き締めた。霊柩車で渡る旭橋は、いつもより長く感じられた。
 主人がなくなる前日。私と主人は喧嘩をした。住み慣れていたが、あちこちにガタがきていた一軒家を手放し、老後を考えて街中に近いマンションに引越したのだが、その荷造りの途中で主人が誤って私の荷物の一部を捨ててしまっていたのだ。私は泣いて怒った。その中には、主人から貰った手紙が入っていた。ただの手紙ではない。頑固で口下手な主人が私に送ったプロポーズの手紙だった。それはプロポーズと呼ぶには微妙な文面だったが、不器用なあの人がどんな気持ちでこれを書いたかと思うと、それだけで微笑ましく感じられた。もちろん私は、こちらこそ、と返事をした。そうして私達は結婚したのだ。主人が私にくれたのは、あの一度きりだった。だが、だからこそ、あの手紙は私にとって宝物だった。それなのに私がそう言うと主人は「あんな物まだ取ってあったのか」と言った。それで喧嘩になったのだが、次の日の朝、主人が起きてくる事はなかった。脳梗塞だった。私は後悔した。喧嘩なんてしなければ良かった。私達は仲直りの機会を永遠に失ってしまったのだ。
 火葬場から、まだ慣れないマンションに帰ってきた。こんな事になるなら、引っ越さなければ良かった。ここには主人との思い出が殆ど無い。娘が、こもった空気を入れ替える為に窓を開けた。
 「お母さんは座ってて。今、お茶淹れるから」
 私は着替えもせず、郵便受けに昨日から溜まっていた新聞や郵便物を仕分けしていた。ふと、その中に見慣れない封筒を見つけた。差出人の名前は書かれていないが、表には私の名前があまり上手ではない字で書かれている。私はその文字に見覚えがあった。まさか。
 私は奮える手で、しかし慎重に封筒を開ける。そして、中に入っていた一枚の便箋を広げた。間違いない。夫の字だった。
 「お母さん?」
 どうしたの、と娘が心配してこちらへやってくる。違う、違うのよ。悲しくて泣いているんじゃないの。嬉しくて泣いているのよ。そう言おうとしたが、口から出るのは嗚咽ばかりで言葉にならない。手紙にいくつも涙が落ちていく。手紙には不器用な字で、
 『毎年、一緒に桜を見よう』
 とだけ書かれていた。52年前と全く同じ言葉。あの人の精一杯のラブレターだ。消印は主人のなくなる前日。どうやら、喧嘩したすぐ後に書いて投函したらしい。
 近くの公園の桜の花弁が、春風と共に部屋に舞い込んだ。そういえば引越しの時、主人は桜の見える部屋に拘っていた。ひょっとしたらこれも、見えない恋文なのかもしれない。私の顔は綻んだ。全く、不器用なんだから。

一次選考通過 『葉っぱのお面』 西 由佳

 川が好きだ。湖よりも海よりも。
 曇り空の下、鉄道橋の袂に腰を下ろし、留まるところを見つけられずに滔々と流れゆく水たちを、私は見送る。
 今日は授業参観だったけれど、ママと一緒に帰る気にはなれなかった。美人で明るいママはクラスの母親の中でも断トツだ。――お父さん似なのね。今まで幾度となく投げ掛けられた言葉は、私の内に澱のようにどろりと溜まり、目の前の流れのように去ってはいかない。
 ふと、視線を感じて顔を向けると、人が居た。大人だけれどとても小さな人。小さい頃ママが読んでくれた絵本に出てきたコロボックルによく似てる。
 「おや、寄り道ですか」。傍らのランドセルに目をやったお爺さんの柔和な目。安全な人のようだ。少し離れて静かに腰を下ろした小さな人は、手ごろな葉を優雅に一枚拾い上げていじっている。よしよしという呟きと共に広げられた葉には穴が四つ。小さな顔にぴったりの大きさだ。
 「素適なお面ですね」。あながち社交辞令というわけでもない。一瞬で素顔を覆い尽くす緑の能面に心惹かれたのだ。小さな人に倣い、自分の顔ほどの葉を見つけ穴をくり抜く。顔に当ててみると、目も鼻も口も寸分違わぬ位置にあった。
 「上等なオモテが出来ましたね。溜まりで見て御覧なさい」。勧められるまま水溜まりを覗き込むと、誰だか分からない私が暗く映っている。面の下で笑ったり怒ったりしてみたが、水鏡に映る顔はどこまでも無表情だった。
 夢中になっていたのか、列車が橋を通過する轟音で我に返ったが、顔から面を取ろうとした刹那、焦りと恐怖がせり上がってきた。剥がれない。葉の面が顔に張り付いて破ることすら出来ない。狭い視界で小さな人を探したがどこにも居ない。いつしか、サーッという音と共に雨が降り出し、私は立ち尽くした。
 不意に、後方でガサガサッと鳴った。誰かが来る。音に背を向けたままがむしゃらに葉に手をかけたが、びくともしない。足音が近づき、鼓動が早鐘のように鳴り響く。見られる――。
 「よう。何してんだ」。背中で聞き覚えのある声を聞いた途端、あれだけ張り付いていた葉がはらはらと落ちた。呆然とする私をよそに「水切りの特訓してたんだ。最高六回!」などと威張っている。お前は…と言いかけて私の足元から穴が四つ開いた葉っぱを拾い上げた。いつの間にか、手の平大の同じ様に穴が開いた葉っぱも持っている。「小人とお面ごっこでもしてたのか」。いつものからかいの口調に返答できず、顔がこわばる。
 と、ヤツはおもむろにポケットから大きめの石を取り出し、私が緑の能面を映していた水溜りに叩きつけ、手にしていた二枚の葉も破り棄てた。「こんなものいらねえだろ、お前は」。視界が涙でぼやける。雨が降っていてよかったと思った。

一次選考通過 『氷解』 石河 周平

 君が旭川高専を三年で修了し、メディア関係の専門学校に行きたいと言ったあの夏、私は賛成できなかった。
 幾度となくあった父子のバトル、そして君が東京に向かう春の朝、黙々と荷物を詰めていた君に私の惜別の言葉が届いていただろうか。君は東京に出ると直ぐにバイトを始めていたのだね。仕送り通帳の残高が一向に減らないことが心配だった。君はそうやって君の決意を示していたのだね。お母さんとは連絡がとれていたことは知っていた。しかし、私との音信不通はあの朝から続いていた。
 私はある賞を受賞するために久しぶりに東京に出てきた。幸便よろしく私は知ろうともしてこなかった奇妙な名称の学校や、そこでの君の様子を知りたくて、昼下がりに知らせなく向かった。月日が私を少し変えていた。
 教員から、「息子さんは学生会館に帰っているでしょう。今日締め切りの作品があったので徹夜をされていたはずです。これが息子さんの課題作です。それは私の目からも君が才能を開花させつつあることを、そんな評価を教員がしていたことが嬉しかった。学校を辞してその後、胸の高ぶりを聞きながら、しかしどこかでまだ喉に魚の骨が引っかかったような思いで君の処に向かった。
 君が東京に出てきて初めて訪れた学生会館、受付で君の部屋番号を聞かなければならないという父子の関係に、改めて複雑なる思いがあった。あの朝からもう一年半が過ぎていた。私はどんな言葉を君にかけたらよいのか分からなかった。
 部屋の扉をノックするが応えがない。静かにノブを回すと赤子のようにベッドに突っ伏していた君の姿。バイトに疲れ課題をこなす日々だったのだろう。躊躇いながら、
 「お父さんだよ、ほら、お父さんだよ」。なかなか目覚めない。そのまま寝かしておこうかと部屋を出ようとした時、寝ぼけ眼で君は、
 「あれ?ここ何処?」
 「旭川じゃないよ」それが、一年半ぶりの私の精一杯の言葉だった。君は私の思いがけない登場に、二人の間にあった時間を見失っていたようだった。
 見るからに痩せた君に心が痛む。「さぁ、ごはんを食べに行くよ。まだだろう」。君は少しはにかみながら、「分かった、今着替えるから外に出て」
 「何を今さら」
 「いいから、外に出て」と、私の背中を押す。すると君は突然、背後から覆いかぶさるように私に抱きついた。
 「嗚呼懐かしい。お父さんの臭いだ」。君がまだ小さかった頃、職場から帰るとこうやって足元に纏わりついたね。夕日が差し込む部屋に訪れた時の休拍(?)。
 私は暫し君の体温を背中に感じながら、鼻の奥がつんとするのを、それを啜る音を覚られないよう斟酌しながら、改めて押されるままに廊下に出た。
 私は私の頑固さを心から詫び、声を殺して一人泣いた。恥ずかしくも溢れる涙に、張っていた気持ちの糸がプツリ、と切れた。
 あの夏以来、私の中にあった旭川の冬の氷柱のような尖った蟠りを、君の無邪気な唐突さと体温とで、一瞬にして氷解させてくれたのです。