月刊フィットあさひかわは、旭川市・近郊町市村の気になる情報を取り上げてお届けします!

準大賞 『母』 ペンネーム 流川 真理

 五月晴れの下、日傘をさした母は私のゆっくりした歩調にもなかなか付いて来られなかった。予約の時間より少し早いので旭川西武店の前にあるベンチに二人で腰掛けて時間が来るのを待つ。二人で旭川に来るのは本当に久しぶりだ。
 「髪を染めるのをやめる」まだ雪が残る頃、母がポツンと言った。地肌が透けるようになってもきちんと髪を染め、美容室で髪を整えいつも身ぎれいにしていた母。七十代後半という年令は、オシャレでいたい心も疲れさせてしまうものなのか。確かに母は近頃銚子が今一つで表情が険しくなった。血液検査は良好で家族はホッとしていたが、早く元気になってほしかった。
 私は母にカツラを提案してみた。テレビCMのモデルは不自然でなかったし、髪にボリュームが出ると若く見える。乗り気になったようには見えない母が首を縦に振った。私が電話予約を入れたとき、もう購入に必要なお金を財布に押し込んでいた。「見てからでもいいんだからね決めるの」。しかし母は何度も行くのはイヤだからと言って、行政手続きにでも行くかのように義務を果たしに旭川へやって来た。安い買い物ではないのだから似合いそうでもなければキッパリ言ってしまおう。でないとすすめられるまま買ってしまいそうだ。
 母に合わせてくれたカツラは、娘からみても悪くないと思った。本人も気に入ったということで購入決定。しかし本人になじませるため、あと二回足を運ばなくてはならないと聞いてガッカリしていた。さっさと買って帰ってきたかったらしい。しんどいのにごめん。
 二回目の日は暑い日だった。母はさらに歩くのが遅くなった。改築工事中の旭川駅を見て来ようと誘ったが、駅内のベンチに座り、うろうろ見て回る私を待っていた。戻って来ると疲れた母の顔があった。二十代の頃、母と旭川の街に本当によく来ていた。ウインドウショッピングをして、お茶タイム、夕食の惣菜を買って…戻れない現実が胸を刺す。
 「見てきたよ」。母は小さく微笑んで、ゆっくりと立ち上がった。
 三回目が終わり、母はカツラを付け私と少しだけ街を散策して帰って来た。カツラを付けた母を見た父は「似合う」と言わなかった。似合わないと言ったわけでもないが…。
 結局母はその後一度だけカツラをかぶったが、七ヶ月後亡くなった。末期ガンが見つかる三カ月前に、母は私と最後の旭川へ行ったことになる。母も娘も末期ガンとは知らず、ベンチに腰掛け、暑い旭川の街を見ていた。母とよく来た頃の買物公園には、人目を引くファッショナブルな女性が沢山歩いていた。心が浮き立つ街だった。
 タイムスリップしている私のとなりで母は何を見ていたのだろう。あの時母も私と同じ景色を見ていたような気がしてならないのは私の一人よがりな感傷だろうか。母を亡くして思う。娘孝行な人だった。重い体を引きずって私について来たあの日の高価な買い物は娘への心づかいだったんだなと。
 母のカツラ姿を誉めなかったのに、父は棺にカツラを入れた。