三浦綾子記念文学館特別賞 『父の想い、私の想い』 高市佳子
久しぶりに風邪をこじらせた。
体が熱く、熱もある。
ふと、昔食べた「たまっこねり」「はなっこねり」を思い出した。かたくり粉を水にといてお湯を注いだらはなっこねり。かたくり粉に直接お湯を注いだらたまっこねりになる。小さい頃風邪をひくと決まって父がこれを作ってくれた。風邪をひき布団で寝ていると、仕事から帰ってきた父が部屋をのぞき
「風邪かぁ~。どっちにする?」と、聞いてくれた。
「はなっこねりにする…」と言うと、
「おっ!!」とひと言言い、お湯を沸かしたやかんとかたくり粉を入れたおわんを持ってきて、寝ている私の目の前で作ってくれる。
かたくり粉の入ったおわんにゆっくりお湯を注ぐ。父の見極めでピタッとお湯を注ぐのをやめる。その瞬間「はっ!!」とかけ声をかけておわんを逆さまにして元に戻す。はなっこねりがおわんから落ちる事はない。手品の様だと当時は思っていた。又、父のかけ声の声の大きさに驚きいつも笑ってしまう。やるとわかっていても同じ場面で笑ってしまう。
「今日のはなっこねりは大したいいぞ」と少しだけお砂糖をかけて渡してくれる。父の作るはねっこねりは美味しい風邪薬だ。父は食べ終わるまでずっと側にいてくれる。そして「明日にはよくなっているからな」と言って部屋を出ていく。
はなっこねりは父が子供の頃貧しく、米の代わりに食べたものだと聞いた事がある。砂糖は当時、大変貴重なものだったし、父が作るはなっこねりにはほんの少ししか砂糖はかけない。食べ終わるまで見ているのも、当時の自分の姿と重ね合わせていたのかもしれない。
人は時として、何かを伝える時に遠まわしに伝える事がある。言葉や行動、しぐさに隠された思い、子供の頃には気づかずにいたが、今、この歳になりたくさんの想いに気づかされる。滅多にひかない風邪をひいた事。はねっこねりが食べたいと思った事。風邪をひいた事は偶然なのか…。しかしそのおかげで、父の想いにもたどりついた。風邪をひいた事も必然だったと受けとめる事ができる。
その父は昨年旅立った。もう父の作るはなっこねりを口にする事は二度とない。
目をつぶると、父がはなっこねりを作る情景がはっきり浮かぶ。父の表情、箸を持つごつい手、やかんをかたむけるしぐさ、私を見つめる優しい顔、笑った顔に刻まれるしわ、父への想いが涙になってあふれでる。
忘れる事のできない味。忘れたくない父の全部。大好きな父の声が聞けない事も、会えない事もとても寂しいが、人が大好きな父の想いを受け取り、忘れる事なく父の様に明るく歳を重ねていきたいと思う。面倒がらずに、人のために自分ができる事を尽くしてきたそんな父の様に、今度は私がどなたかにそうできたらいいと思う。
父の大好きなひまわりの花が大きなつぼみをつけている。