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一次選考通過 『お風呂やさんと私』 畑山 有希

「え~、うそぉ。今3月なのに…」北の春はいつも遅い。にしても、今年の雪融けの遅さは例年以上で、3月下旬だというのに、今もカーテンを開けた瞬間目に飛び込んでくる、うっすらと白い景色に思わず、声を上げる。早朝音もなく静かに積もったのだろう。
 ここ、ナナカマドが、シンボルの花の、雪深い街で家を建てたのは、私が小学校高学年の時。
 家のすぐ目先、歩いて2分の場所に小さな銭湯があった。すぐには利用せず、お湯が出なくなった…とか、夏あまりに、暑いので家でお湯を沸かさずに…とか何かきっかけがあり、利用し始めるようになったはずだ。
 温泉は旅行等で行ったことがあったが、銭湯というのは記憶の限り初めてで、その脱衣所の狭さや、番頭さんが見える位置に座っていることに驚いた。しかし、すぐに慣れ頻繁に通うようになった。床の青っぽい畳、古い木造のロッカー、懐かしい響きの演歌。何故こんなにも心地よいのだろう。何故こんなにも、心静かに落ち着いていくのだろう。―ああ。似ているのだ。ここは、母が子ども時代を過ごした、祖母と曾祖母が2人で暮らしていた木造の古い家に―

 こっくり、こっくり。
 私は夜入りに行くことが多く、番頭の初老のおじさんは、いつも居眠りをしていた。どちらかというと、私は人見知りで、人の目を見て話すのが苦手だったので、逆にそれがありがたかった。
「お願いします」そっとお金を置く。「あっ!はいはい…。ちょうどね!」引き戸を開けて入ってくることに気づかなかったおじさんは、そこでやっと気付き、慌てて対応してくれる。

 そんな冬のある日、珍しく閉店30分前のやや遅い時間に弟と出掛け、時間を肌理、待ち合わせをした。
 時間になり、多分出ただろうと、靴をつっかけ、「どうも~」と出ようとした瞬間、珍しくおじさんが目を開き、「あっ。ちょっと待ってね」と私を静止した。「?」数秒して、「はい、いいよ~」との声の後、弟の「どうも~」といいガラガラ引き戸を開け外に出る音が聞こえてくる。「あ。はい。どうも」と外に出て、弟と並んで帰りながら、おじさんが私が思っているよりずっと見ていてくれてることを知る。姉弟って知っていたんだ。暗いし、家がこんな近いのも知らないもんな~。優しさにポッと心が灯る。
 3月も今日で最後なのに、まだ一面雪景色。私は4月から本州の大学に進学する。受験勉強で忙しくなかなか来られなかった銭湯に久々に足を運ぶ。こっくり。こっくり。ストーブに照らされたいつもな赤い顔。言葉はなくても安心する空間。ざぶん。お気に入りのぬるめの湯に入る。「いいち。にいい」誰もいないので声に出してみる。何故か昔父と風呂でかけ算を練習したことを思い出す。帰りがけ、どうもといいかけ、いい直す「あの」「はい」おじさんがちょっと驚き、目を開く。私は、ゆっくりと不思議な程落ち着いた響きの声で、この地を離れることを伝えた。
 言いながらだんだん我に帰り、さぁっと冷めゆく自分に気づく。私は何をくちばしっている!まともに口をきいたこともないのに……でも…「そうでしたか」おじさんは、いつもの表情からは想像もできないくらい、紳士のような真面目な面持ちで私を見た。そして、目を見て顔を上げ、一言「頑張ってね」そう言った。どこまでも、ただひたすらに優しい笑みを浮かべ。

 外に出る。ひゅうと地吹雪く風。でももう春の風だ。「あ」泥混じりの雪の中に小さな花を見つける。いつから眠っていたのだろうか。小走りに歩きだす。ポカポカとする胸の温かさを感じながら。
 ~おじさん、元気でいてね~