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一次選考通過 『見透かして』 袰地 晴貴

 大学四年生にもなると、来年の就職や卒業に向け、私達と同学年の大学生は卒業論文などに追われる日々が幕を開け始める。既に就職先を定めている人が多くいるのだが、いまだ何処に就職すればよいか決まっていない。中学時代から成り行きでこの大学に入り、流されるまま三年間を過ごしてきた。特に尊敬する人など居らず、同時にこれといった夢も無い。
 無気力の塊のような私は普段から旭川駅付近のバス停で乗り継いで、登下校している。大抵5時半くらいに学校が終わり、友達と喋りながら駅付近のバス停へ向かう。この時間帯になると大抵の人が帰宅するために、学生や大人たちがバスに乗り込む。だけどこの日は、偶然にも人が少なかった。珍しく空席がまだらにあり、私は適当に近くの空席へ腰を下ろした。
 バスのドアが閉まり、次のバス停への行き先を告げるアナウンスが昨日と変わらないことを言う。私はポケットに仕舞っていたスマートフォンを取り出し昨日と同じ曲を流しながら揺れるバスに身をゆだね、半ば眠りながら次のバス停へ着いた。
 「ドアが開きます。ご注意ください」
 ドアが開閉すると同時に流れるアナウンスに起こされ目を開けた。乗ってきたのは、何処か幼げな雰囲気を残し、制服を着こなせていない、女子高校生くらいだろうか。私は何となく、その少女に病気があるのではないかと思った。少女はバスの整理券を乱雑に取った。そこで私は、「嗚呼、何かしら病気を患っているのだろう」と確信づいたのだ。その少女に続いて乗ってきたのは母親らしかった。
 「すーちゃん、落ち着いて。はい、バスの後ろに乗ろうね」
 母親も同様に子どもをあやす様な物言いで、その少女を、私の隣の席に座らせた。母親は私に軽く会釈し、座った。
 私の下車するバス停は豊岡方面で、あと20分ほどかかる為、あらかじめアラームをスマートフォンでセットした後に、転寝をした。耳に付けたイヤホンから流れる好きなアーティストの甘い声とバラード曲の所為で私は直ぐに眠りについた。
 「おなか減った!」
 アラーム代わりに隣から聞こえたその音で私は目覚めた。おぼろげな視界のまま隣を見ると、先程の少女がそう叫んでいた。叫んでいた、まではいかずとも、多少なり大きい声だった。母親は焦ったようにバックからお菓子を取り出し、少女にそれを渡した。それから私の方を見て、すみませんと陳謝の意を込め、頭を下げた。私は自然と頬の口角を上げ、母親と同じように頭を下げた。
 「大変だな」
 そう心で呟いた。仮に私が将来結婚して、このような子どもが生まれたら、どうするだろうか。そんな思考回路がふと巡り始めた。
 私だっていつまでも仕事をしていたいわけではない。いつか結婚して子どもを産みたいという人並みの理想はある。
 小学や中学時代はまだ遠い話だと思っていたのだが、私の未来はそう遠いわけではい。もう22歳になる私は、あと数年で結婚するかもしれないし、子どもが出来るかもしれない。そう考えたとき、少女のような病気を生まれながらに、或いは成長途中に発症しないわけではない。私は仮に、少女のような病気を持った子が生まれたとき、私は躊躇いもなく、その子を愛してあげられるだろうか。絶え間なく、愛を注いであげられるだろうか。
 私はもう一度、少女の母親をみると、母親は笑顔ながらにしっかりと、娘の手を握っていた。不安や疲労が無いわけではなさそうだけれども、少なくとも、少女に愛を与えていないわけでもなさそうだった。現に少女はここまで逞しく育っていた。多少大きな声を出しても、母親に小さく叱られてから、少女は声を小さくして母親と楽しそうに話をしている。母親もそれに対して、楽しそうに返していた。
 いままでどれだけ崇高な存在である人でも、偉そうにふんぞり返ったり苦痛を体験していたりする人を、素晴らしい人を見ても「尊敬」、とまでは行かなかったのに、私はこの日初めて逢った、何のつながりもない赤の他人の、この少女と母親を、初めて尊敬することが出来た。
 不安が拭い取れたわけではなくとも、私の将来にそのようなことがあったとしたら、そのときの私は自分の子に、しっかり、自分の知っている愛を、あげられるような気がした。