一次選考通過 『故郷』 鈴木 雅子
私達親子が、旭川に越して来たのは二十年前。愛実が小学校入学を機に娘と二人、両手一杯の希望とほんの少しの不安を胸に、千葉を後にした。私の結婚は僅か一年半で破局してしまった。私二十五才、愛実はまだ生後十ヵ月だった。今に思えば、若気の至りだったかもしれない。なぜかその時、旭川に戻りたいと思った。それから七年、愛実の成長を待ち親の反対を押し切ってまでもこの町に拘った。
私は大学に通う為、プラタナスの並木道があるこの町で四年間暮らした。私にとって貴い青春時代だ。沢山の想い出と素晴らしい友人達と深い絆が出来た場所でもある。自転車に乗れる季節には、街路樹を渡りゆく風に吹かれながら通り抜け、歩道が落葉で埋め尽くされる季節には、靴の底から聞こえるカサカサと鳴る音を、心地よく感じながらゆっくりと散歩もした。春に成ると公園には桜が咲き誇り仲間達とお花見に出掛けたりもした。四季折々に街並みは表情を変えていく。そんなこの町が大好きに成った。卒業して千葉に戻ってからも、幾度となくこの町の景色、匂いを懐かしんだ事か。今はもう帰る故郷のない私達にとってこの町が、かけがえのない故郷となった。
愛実はこの地でのびのびと健やかに成長していった。小学校の時、子猫を愛しそうに抱えて帰って来た事があった。聞くと、並木道をよたよたと歩いていたと。そして家族の一員と成った。中学生の頃は、親には決して見せない微笑みを、仕事帰りの車中から見た事が有った。自転車を押しながら並木道を歩いている愛実。隣には素適なボーイフレンドが。きっとあれが愛実の初恋だったのだろう。高校の部活帰りに、教会から出てきた花嫁さんを見たと言って、目をキラキラさせて帰って来た事もあった。そして「ママ、私をこの町に連れて来てくれて有難う」そう言った。
それまで心の奥底でいつも自問自答していた。親の勝手で父親を奪い、忘れられない町だったと言うだけで、雪深いこの地に幼子を連れて来た事。越して来て一、二年は気候の違いに、身体が馴染めず辛い思いもさせてしまった。
本当にこれで良かったのかと、熱の下がらない愛実を見つめながら何度思った事だろう。でも、その答えを愛実が出してくれた。娘もまた、沢山の想い出と素適な人達との出会いがあったに違いない。
遠くへ嫁ぐ日が間近い愛実に伝えたい。元気で二人仲睦まじく幸せに暮らしてほしい。そして貴女には、いつでも暖かく包み込んでくれる故郷があると言う事。明日への力を蓄えるべく翼を休める場所、そこを人は故郷と呼ぶのでしょう。いつの日か「ここがママを育ててくれた町よ」と言いながらプラタナスの並木道を、娘家族が歩いている。そんな事を思い浮かべるだけで、口元は緩み目元は緩んだ。
荷造りを手伝う手が、ふっと止まっては二十年が走馬燈の様に駆け巡った。