一次選考通過 『太郎の薬袋』 田辺 りら
どうしても誰かに読んで欲しくて、この原稿を書いている。
大学時代、鈴木太郎という友人が居た。記入例みたいな名前に似合わず、顔立ちはネパール人にそっくりで、人混みで目立つ程ひょろりと痩せて背が高かった。
太郎は二浪の末にやっと受かった札幌の大学で、たまたま私と同級生になった。出席番号の並びが近い男女十人で、富良野にラベンダーを見に行ったのを機に、同じメンバーでよく集まっては温泉に行ったり、びっくりドンキーで安いランチを食べた。
太郎は一人暮らしなのに8人乗りのボロボロのハイエースに乗っていたから、いつも車を出してくれた。スタンリーキューブリックが大好きで、床が見えない程に物が散乱した太郎の部屋で、キューブリック作品の分厚い本だけは、きちんと棚に収められていた。
去年の正月休み、家族と沖縄に旅行中の夜、私の携帯にメールが届いた。読み始めたとたん、島酒のほろ酔い気分が醒めた。同じグループだった沙耶からのメールは、太郎の死を告げていた。深夜だったが、私はすぐに沙耶に電話をかけた。
まだ四十代の私達は、訃報の衝撃を語り合った。
「太郎に普通に年賀状を出したら、お父さんからそんな知らせが来て吃驚したわ」。
と沙耶は沈んだ声で言った。死因は聞けずじまいだ、という沙耶の話は私を不安にした。
大学卒業後、太郎は故郷の関西に就職し、私は道北で公務員になった。もう15年は会っていないし、年賀状も出さなかったけど、太郎とはまた会えると思っていた。結婚しようが親になろうが、再会すれば学生気分で酒を飲めるはずだった。そんな友の訃報は悲しすぎて、考える度に涙が出た。
太郎の死の理由がどうしても気になって、私は旅行から戻ると彼の父親に電話をかけた。
「太郎くん、体調悪かったんですか?」
と尋ねる私に、父親は、
「仕事が決まらんで、ずいぶん悩んどって…」
と語尾を濁した。その口調から、私は自殺なのだろうと推察した。
太郎は最初に入った会社を辞めたらしい。それ以上聞けず、お悔やみを言って電話を切った後、猛烈な悔しさが襲ってきた。多分太郎が一番苦しんでいた時期に、私は何も知らなかった。通夜で思い出を語り合うことも出来なかった。だから、誰でもいいから話したくて仕方がない、太郎がどんなに不思議で、面白い奴だったかという事を。
香典を送った数日後、古い荷物を片づけていると、私の名前が書かれた薬袋が出てきた。中にはビニールの梱包材の切れ端と、手紙が入っていた。
「あなたは卒論でストレスがたまっています。これをプチプチしてすっきりしてください」。
太郎はそうやって冗談めかして気遣ってくれる奴だった。
このタイミングで出てきた思い出の品が、太郎からの香典返しに思えてまた涙が出た。
もし何十年後かに天国で太郎に会えたら、私は昔のままの痩せた猫背を思いっきり叩くに違いない。
なんで一人で先に行っちゃったのさ、と。