入選 『未来』 小笠原 章仁
「平和通にはな、じいちゃんが小さいころは車が走っていたんだぞ」
そう言ってみたもの、愛奈はまったく興味を示さない。無理もないことか。私は思わず苦笑してしまった。
旭川駅に降りたときは妻と娘も一緒だったというのに、2人ともバァバとママであることを放棄して、ジィジに孫姫を押しつけるようにして西武の中に消えていった。
まあいい。お前たちがそのつもりなら、この間にお前たちもうらやむくらいの関係を愛奈との間に構築してやろう。思いっきり愛奈を甘やかして愛奈にとりいるのだ。そのときになった吠え面をかいても知らないぞ。
だけど何を話せばいいのだ?帯広に住む孫姫とはめったに会わないだけに、愛奈がどんな話を喜ぶのかがわからない。思い余ってついつい昔話が口をついて出るが、そんな話が愛奈とかみ合うわけがない。
「買物公園も昔は人がたくさん歩いていてな、4条にあった手の噴水のところなんかすごく賑わっていたんだぞ。じいちゃんも中学生のころはデートの待ち合わせに使ったもんだ」
ちょっと照れながらそんな話をしてみるが、3歳児は何の興味も示さない。そりゃあそうだ。ジィジが中学生のころのことなど話されても、愛奈に想像できるわけがない。
そんなのは自分が子どもだったころのことを考えればすぐにわかることだった。平和通が買物公園になる前のまだ車が走っていたころ、祖母に連れられて一緒に歩いたことがあった。そのとき祖母は「いまは平和通といってるけど、昔は師団通といって…」などと昔話をしていた。一緒に歩いてそんな話をされたということだけは記憶に残っているけれど、話の中身はまったく覚えちゃいない。子供にとって過去はほんのわずかしかなく。未来は無限に広がっている。だから過去を振り返ることなんかできやしないのだ。いくら過去のことを話されても、興味を持てるはずがない。
思い起こせば、中学・高校のころ、一番嫌いな教科は歴史だった。すでに終わってしまったことを勉強して覚えなければならないということがどうしても理解できなかったのだ。そのころは過去なんてどうでもいいことで、未来だけが重要なことだと思い込んでいた。
でもいつしか、そんな自分が歴史小説を読み漁るようになった。歴史的建造物や遺構などを好んで見るようになった。自分には残された未来よりも辿ってきた過去の方がずっと多くなってしまったせいだろうか。
「愛奈、このおじちゃん大好き」
孫姫は突然、『サキソフォン吹きと猫』の彫刻と戯れ始めた。
「そうか、愛奈はこのおじちゃん好きか。どうして好きなんだ?」
「だってかわいいんだもーん」
無邪気にはしゃぐ孫姫の姿を見て、この子たちがいつまでもこうして笑顔でいられる未来を作り出すのが私たちの役目だと思えた。
やがてこの景色が愛奈にとって懐かしい景色となる未来が来るのだろう。その景色の中に彫刻とともに自分の姿があるのだろうか。そう思うと彫刻に少し嫉妬を覚えた。