入選 『天国へ投函した手紙』 鈴木 道子
「突然ですが、大好きな人を見送った経験はありませんか。その人に心の中で会ってみたいと思いませんか」と、ラジオから流れてきました。
「心の中で会ってみたい人、いるわ。時々手紙も書いているけれど、まだ、出せないでいるの」と、独り言をつぶやきながら、ラジオに耳を傾けました。
とても大事にしている物があります。色が褪せないように、ビニールケースに入れて、家計簿の引き出しの奥に入れてあるのです。
それは、十八年前の六月、四十六歳で旅立った妹からの最後の手紙です。当時は、封筒を見る度、涙が出ましたが、時間が悲しみを忘れさせてくれました。時々、出して読み返して、妹を偲んでいます。
亡くなる前の年の八月、社員旅行で札幌へ行くから寄る。荷物を送るから受け取っておいて」と、電話がきましたが、荷物が届かず心配していました。
「胃の具合いが悪く、入院し検査をしたら、がんで余命六か月と、言われた」と、妹の夫から泣きながらの電話がきました。まだ告知はしてないと、言います。
「日光へ旅行する途中に寄る」と、口実をつくり、わが家の庭で採れたリンゴを持って見舞うと、「旭川のリンゴは特別な味がする」と、おいしそうに食べる姿に、一寸、安堵しました。
長女の私と、末っ子の妹は、十二歳の年の差はありますが、中、三人が男のせいか、とても仲が良かったのです。
結婚して、旭川、神奈川と離れましたが、手紙や電話でのおしゃべり、三、四年おきの訪れで、優佳良織工芸館や神楽岡へ桜を見に行ったりしたのが目に映ります。
入退院を繰り返しながら、「娘の結婚式に出たい」と、夢を持ち続けて六か月が過ぎ、「もしかしたら」の、希望をもったのですが。
自らの死を覚悟したのでしょうか、結婚前の娘、大学生の息子の喪服まで用意してありました。よく、泣きながらの電話を寄こし、電話口で私も、何度、泣いただろうか。
返事を出すことが出来なかった手紙には、「もし、治ったら旭川へ遊びに行きたいです。その時はよろしくね」と、書いてあります。
あの世へ逝ってしまいましたが、忘れられない妹です。「旭川は、今、とても良い季節です。千の風に乗って遊びに来てください。あなたが好きな動物園へ、また一緒に行きましょ」と書いて、天国行きのポストに投函しました。