大賞 『おにぎり』 高市 佳子
小学校六年生の冬、スキー遠足のその朝、私は自宅を出てウッペツ川沿いの通学路に、お弁当だと渡されたおにぎりを雪に埋めた。母が病気がちな家は、父がお弁当を作ってくれていた。ずっとみんなからからかわれるのが、嫌で仕方なかった。
父のおにぎりは野球ボールより大きく、まんまるで、全部にのりを巻くのでまっ黒だ。私の手の掌におさまるどころか、まん中の具にまでなかなかたどり着かない。大きいまっ黒なおにぎりを両手で少しずつ食べる光景が友達から見たらおもしろいらしい。
「おまえのおにぎり石炭みたいだな」ってよく笑われた。だから最初にのりだけ食べて、その後に米を食べた。父さんにはいつも言っていた。
「おにぎりもう少し小さくして……」って。
父さんは笑って言った。
「オレ、手がおっきいから、ちっちゃいのはできないぞ」
この会話も何度しただろう。
雪が融け、春を迎える旭川のこのあたりは景色がとてもきれいだ。大雪山が真正面にそびえ立ち、左手には春光園という緑多き公園もある。通学路で歩く道なりに見つけてしまった。あの時埋めた父のおにぎりを…。
胸が高鳴り、思わず小走りになった。何も考えずにそのおにぎりをウッペツ川に投げた。一瞬でおにぎりは沈み、もうどこにあるのかわからない。父の笑顔が浮かび、同時に私は泣いてしまった。父のごつごつとした手も浮かんだ。誰かに見られたかとあたりを見回した。誰にも見られていない。余計に心が痛くなった。
旭川に春が訪れるとよく山菜を取りに行く父。山で食べるおにぎりを父は自分で握る。そのおにぎりをリュックに詰める父を見るたびに、私はあの日の事を思いだす。娘のおにぎりを握る父の気持ち。そのおにぎりを捨てた私の気持ち。そして捨てたおにぎりを川に投げたあの時の私。その私を知らない父。小さな罪を消すことも忘れることもできず、私は今、母になっている。
娘におにぎりを握る時に、必ず私はあの石炭おにぎりを作る。本当に嫌だった石炭おにぎり。ばかにされた石炭おにぎり。今だに捨てたおにぎりを思い出し、父の顔を思いだして胸が痛む。おにぎりを食べながら、自分の手を見る。あの時の私…小さかった…。
あの石炭おにぎりを握った父の手は…。
私を育ててくれた父の手は…。母を支え、私を支え、一生懸命に何もかも支えてくれた父の手は私の命の一部だ。
ありがとうとごめんなさいが交差するこの気持ちを、これからも抱えて過ごすだろう。
旭川で生まれ育ち、今もこの地で暮らす私。ウッペツ川沿いを自転車で通学する娘の背中を見送る私。おにぎりを捨てたあの場所にはたんぽぽが咲いている。