育児は労働ではありません
「育児をとるか、仕事をとるか」―
これは私たちが日常よく聞く問題です。しかしこの設問に答えはありません。なぜなら、設問そのものが間違っているからです。
日本がまだ高度経済成長に入る前、嫁入り道具で三種の神器といわれたものがありました。電気洗濯機、白黒テレビ、電気冷蔵庫がそれです(昭和三十年前後)。これらをそろえてお嫁に行くのは、当時ではよほどのお金持ちの娘さんでなければできないことで、ふつうの家庭の主婦は炊事、洗濯、掃除などの家事全般を、赤ちゃんを背負ってやっていたのです。
途中で赤ちゃんのおなかがすけば、仕事を中断してお乳を与え、オムツがぬれればそれを取り替えなければなりませんでした。家庭用電気冷蔵庫はまだ普及していなかったので、生物を家に多量に貯蔵しておくことはできませんでした。だからその日か、せいぜい翌日に食べるくらいの量を買いに、魚屋や八百屋へ赤ちゃんを背負って行ったものです。要するにこの時代までは主婦にとって育児は家事の一部だったのです。そして、祖父母もまだ育児に参加していました。
高度経済成長が始まり生活が豊かになっていくにつれて、三種の神器も高級品ではなくなってしまい、どこの家庭でも買えるようになりました。さらに電気炊飯器を始めとして、いろいろと便利な家庭用電化製品が出てきました。これらのおかげで主婦の家事労働量はうんと少なくなり、赤ちゃんを背負ってする仕事はほとんどなくなってしまいました。
また高度経済成長は、核家族を生み出す一方で、女性の労働力を必要としていました。主婦にも時間の余裕ができ、仕事を持とうと思えば持てる時代になった時から、育児は主婦にとって家事の一部ではなく、しなければならない仕事の一つ、すなわち育児労働だと考えられるようになってしまったのです。
労働ならばお金で代わりをさせることができます。育児が労働だと誤解されるようになってから、いたる所に託児所や保育所ができ始めました。と同時に、「育児をとるか、仕事をとるか」という決断を女性(夫婦)は、迫られるようになりました。育児と仕事とはもともと二者択一することのできない異質のものなのに、経済的側面からだけで育児と仕事とを秤にかけるようになったのです。その結果「育児か、仕事か」という悩みが発生しました。
しかし育児は労働ではありません。育児とは母親にとっても自分の人生の一部なのです。人生の一部を人に代ってもらうことはできません。だから「育児をとるか、仕事をとるか」というのは無理難題で、答えはないのです。
子供を託児所や保育所にあずけるということは育児の一部を他人に委託するのではなくて、育児の一部を犠牲にする、すなわち親と子の人生の一部を空白にすることです。このことはとても重要なことなので、しっかりと理解していただきたいのです。
つづく