ルームミラーより愛を込めて

日暮れて途遠し2

自由愛す熟れし葡萄の木の下に モーレンカンプふゆこ

砂灼くるカラシニコフの鈍色に 侘助

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年に一度は東京へ行き、友人たちと飲むことにしています。去年は、古傷の右膝に不安があったので母の使っていた杖を持っていくことにしました。東京の街は、電車の乗り降りからして結構歩かなければなりませんからね。
驚いたのは、その黒い杖を手に電車に乗ると百パーセント席を譲られることでした。時にはかなり離れた場所からも「どうぞ」って。男女を問わず、私と違わない年格好の人からも席を譲られると、恐縮と同時に自分が詐欺師になったような心持ちになりました。だって膝は至って快調だったんですから。

今年は膝も順調で杖を持つのは止めました。もう心優しき東京人の親切心を弄ぶわけにはいきませんからね。ところが、手荷物も少なく身軽な感じで電車に乗り込んだはずなのに「どうぞ」って。まず中年女性が席を立ち、続いて隣の若い男性が無言のままス~っと立ち上がるではありませんか。そのあまりに絶妙なタイミングに私は危うくお礼を言い忘れそうになりました。
世の中いったいどうなっとるの?

地球上では悪夢のような戦禍や事故が頻発し、また、私たちの平和と人権思想の拠りどころである憲法を否定する動きが進行中だというのに、都心の電車のなかでは市井の人たちが優しい心遣いを示してくれています。ていうか、どうして杖を持っていないのに席を譲られるのか。たしかに妻も私も白髪頭(私は+ハゲ)で、小津映画『東京物語』の老夫婦のように、ちょっと疲れた田舎者のように映ってしまったのかもしれませんね。

さてと、私がこのページに「小話」を載せてもらうようになってから六年が経ちました。タクシー運転手になってから十五年。何かを書きたいと思ったのは、運転手として様々なお客さんと接したことがきっかけでした。私の業態は「流し」と「待機」なので、お客さんと接するのはせいぜい十分から三十分です。その短い間に交わした会話から、その人の人生の一端を垣間見て、私が伝えたかったことや伝えきれなかったことを書いてみたいと思いました。
長い服役を終え、青いボストン一つで社会に復帰しようとする男性。五千円のタクシー代を五万円で支払おうとしたおばあちゃん。別れたお母さんにこっそり会いに来た松井秀喜ファンの小学生。亡き人への思いを断ち切るために、彼の愛した北海道にやってきた看護師さん。タクシー一台分の身の回り品と二匹の猫を抱いて、ロクデナシから逃げた女性。などなど、たった一度きりのお付き合いでしたが、今でも時折思い出す人々が大勢います。それぞれが今も元気に歩き、走り続けていると信じています。
『東京タクシードライバー』(山田清機著)の帯にこんな惹句が書かれていました。「夢破れても人生だ。夢破れてから、人生だ」。

 

私はもうしばらくこの街を走り続けます。
皆様さようなら、くれぐれもご自愛くださいませ。

日暮れて途遠し

声高に叫ばれ続けて消えてゆく
復旧 / 復興 / 絆の言葉
 三原 由紀子

レコードに昭和の埃小瑠璃鳴く 侘助

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AVの世界では今、高解像度の波が押し寄せています。こう書くと「ボカシもなくなったのか?」と腰を浮かしかけた愛好者諸兄。AVといってもテレビやオーディオのことですよ。4Kテレビやハイレゾ音源といった、従来の四倍から六倍の情報を再生できる機器が店頭に並んでいます。でもそんな波に逆らうように、私の最近の楽しみはLPレコードを聴きながら一杯やること。クリーナーで拭っても拭っても残るわずかなノイズさえも心地よく、すっかり忘れていた柔らかく艶のある音でジャズを聴いています。みなさまも納戸の隅にうっちゃられた古いレコードが残っていたら、一度ホコリを払って針を落としてみませんか。

さてと、前回話のタネにした小保方さんのSTAP細胞はたいへんなことになってしまいました。画像の切り貼りと自身の過去の論文からのコピー&ペーストが明らかになり、誰も追試に成功していないことと、その実験ノートの少なさから、発表されたデータ自体が改ざん・ねつ造されたものだとさえ囁かれています。でも、今もなお私は小保方さんを信じようと思っています。割烹着姿で、「ちょっとしたコツ」を駆使しながら、あの緑色の細胞を作ってどこが不正なのでしょうか? 一流の板前だって大衆食堂のオバチャンだって、データとして表せないコツを使って料理の味を劇的に変えてるんじゃないですかね……あゝ論理的に応援できない自分が悲しい。

私はこの頃、真綿でじわりと首を絞められるような重苦しい心もちになることがよくあります。やらなければならないことがあるのに、少しも前に進まない。やり残したことがあるのに残された時間がない、といった焦燥感ですね。そんな折、こんな言葉に出会いました。これを小保方さんにも贈りたいと思います。

私は百六才。耳が遠いです。
人生について色々知ってるわ
私が学んだことを世の中の人に伝えたい
失敗から学びなさい
今を生きなさい
なぜなら、人生って素晴らしいから
あなた自身が良くしていくの
ごまかしちゃいけないってことを学んで
奇跡はあなたの周りに沢山ある
強く
常に真実を伝え
目をしっかり見開いて
時には口は閉じたままで
文句は言わない
恐れずに
やれと言われた事に常に従わなくてもいい
臆病者になるな
躊躇すれば負ける
悪い子になれ
ペダルをふんで
早く走れ
でも、絶対にあなたが何者なのか、
忘れてはいけないよ。

(米国の自動車メーカーのテレビCM。ギズモードのホームページより)

 

善き人は成功者になれないか

風花の舞えば舞うほど還らぬ日
冬の青空にちらちらと舞う雪が風花(かざはな)。
 池田 澄子

風花はかざはなのまま暮れてゆき 侘助

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「成功者」というのは一体どんな人のことをいうのでしょうか。お上から勲章をもらったり、オリンピックで金メダルを獲ったり、中くらいから上の会社の社長になったり、世界が驚く発見をした科学者をいうのでしょうか。
というのも、『いい人は、成功者になれない』、たしかこんなタイトルの本をコンビニの片隅で見かけたんです。
悩める大人ならちょっと気になるタイトルの本、でも千円出してまで買う気がしないときに、大抵人はその本を手にとってまず目次を開き、中でも興味深い項目のページを見つけて「立ち読み」を始めますね。でも私はそんなことはしません。
古くは「モーゼの十戒」、あるいは西方教会の「七つの大罪」のように、私にはしてはいけないと自らを厳しく戒めている事柄がいくつかありますが、その内の二つが本屋での「立ち読み」と、自己啓発といった類の本を手にとることです。立ち読みは、袋菓子を破って中身を覗くのと同じ行為だと考えるからであり、自己啓発は、自分にはどうせムリと思うからであります。
ではどうするか。私はその気になる本の前に立ち、両手を後ろ手に組み(これが肝心)タイトルを凝視します。立ち読みはしてないよ~と、店員さんにアピールするわけですが、同時に本の内容を「透視(盗撮ではありません)」するわけですね。私には昔からその能力があります。ま、そんな術を使わなくとも、この著者の言わんとしていることはわかりますけれど。「いい人が成功しない」のは人が善いからでしょ!ノーと言えないんですね。飲み会に誘われても、保証人を頼まれても、謎の宗教信者が現われても、健康食品の販売員が玄関先で話し始めても、町内会長に推されても断れません、善い人は。

その結果は二日酔いで一日を棒に振り、大きな借財を背負い、捨てるとバチの当たりそうな小冊子を押しつけられ、ちっとも元気にならない摩訶不思議を毎日飲み、顔も合わせたことのないご近所のために市民委員会に出席するはめなるのです。これではアナタ、自分が成功するために努力する時間的・精神的余地がないではありませんか。自らを成功に導くためには邪魔なこと、煩わしいことには毅然としてノーと言う。そういうことなんでしょう。

しかし、「成功者」の一人、割烹着を着てSTAP細胞(多能性細胞)を開発した小保方晴子さんは、権威ある科学誌からアンタの論文は「歴史を愚弄するものだ」と最大級の「ノー!」を突き付けられても、自分を信じて研究を続けました。きっと彼女は、寝ても覚めてもトイレの時も、研究のことが頭から離れたことはなかったでしょうね。もしかすると、飲み会やデートに誘われても断ったことがあったのかもしれません。でも、彼女にしてもノーベル賞の山中教授にしても、研究の動機は、「不妊に悩む女性を助けたい」「難病に苦しむ人を助けたい」一心だったわけで、私にはとても「善い人」に見えるんですけどね。
小保方さんは、割烹着を着たお母さんがレンコンを酢水につけてシャキッとさせるのを見て、研究のヒントにしたんでしょうか?
なわけないか。

 

品格の差

生きるの大好き冬のはじめが春に似て 池田 澄子

仏壇へ小春日とどき猫欠伸 侘助

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運転が乱暴だとか遠回りされたとか、車内が汚いとか臭いとか。会社・協会・運輸局に寄せられるタクシーへの苦情は様々です。先日『あさひかわ新聞』の記事に載ったのは「無言タクシー」。お客さんが行先を告げても無言、道中も無言、到着して支払いをしても勿論無言だったとのこと。まるで修行中の禅僧のようですが、この運転手さん、勇気がありますね。
私とて、奥さんに七面倒くさいことを頼まれたり、前夜の行動を追及されたりしたときは無言で通しますが、内心ドキドキしています。いつ背後から首を絞められたり、ど突かれたりするかわかりませんからね。勇気があるなあ。
運転手が無言なのには概ね四つの理由が考えられます。
・ 口内炎で口の中が腫れている
・ 大福がノドにつかえている
・ 粉薬を飲んだばかり
・ 最初から口をきくつもりがない
三番目は私も口に入れたばかりの『太田胃散』を乗ってきたお客さんに噴霧しそうになったことがありますが、四番目の人は無言を止めないと思いますね。だってそこには明らかに確固たる意志がはたらいているような気がしますから。どんな意志なのと訊かれても困りますが……。
ただ言えるのは、短い時間でもお客さんには気持ちよくタクシーに乗ってもらいたいということだけです。首相批判ならいくらでも書けるんだけど、同業者には歯切れが悪くなるのも私の品格です。
さてと、ご覧になった方も多いと思いますが、この夏けっこうはまったのがマイケル・サンデル教授の『ハーバード白熱教室』。「殺人に正義はあるか」や「命に値段はつけられるか」など、仮定の例題や実例を学生たちに提示して議論に参加させ、自身の理論を展開しながらも、あくまで議論を闘わせる中から、学生たちにテーマを深く考えさせるという講義手法ですね。NHKの番組を見逃したので、インターネットから入手できた動画を数十時間分見たり、二冊ですけど教授の本も読みました。
私が思ったのはまず、サンデル教授がとてもカッケーってこと。仕立ての良さそうなダークスーツとトラッドなネクタイ、左手をズボンのポケットに入れたまま、鋭くユーモラスなツッコミで学生たちを議論の渦に巻き込んでいく、そんな姿に魅せられました。髪の毛が少しばかり薄いところも私としては好感度三割増でしたね。そして東大で行われた教室編では、英語の発音がネイティブな学生が多いなあと感心しました。さすが東大生!
スイマセンネ、何十時間も哲学の動画を見て感想はそれだけかよって話ですが、所詮私はその程度の人間ですから。私は昔から議論が苦手で、自分の考えを強く主張して相手との関係がギクシャクするくらいなら、黙っていたほうがましと考えてしまう性格です。でも動画を見ながら、サンデル教授がリードする教室だったら自分の意見を堂々と言えそうな気がしました。勿論生粋の日本語でですけど。
年齢は同じなのに、マイバン・ノンデルとマイケル・サンデル。この品格の差は……大きすぎる。(結局このダジャレが言いたかっただけです)

 

逃げる女

柔らかさBの鉛筆好み処暑 岡本彦弥

針の跳ぶエディット・ピアフ胡桃落つ 侘助

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アテ・シロタ・ゴードン著『1945年のクリスマス』は、日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝です。このマッカーサー草案は、昭和二十一年二月四日(月)朝から十二日(火)夜にかけて作られました。それぞれ法律学・政治学・財政学などのエキスパート二十五人が作成にあたり、完成した九十二条のうち人権条項は実に三十一条を占めていました。この人権条項を担当した三人のうちの一人が著者です。
彼らは、法律によって様々な制限をうける臣民の権利(民権)はあっても、人権という日本語がなく、男尊女卑の国だった日本に、新しい憲法による国民主権と戦争の放棄、男女平等と基本的人権を確立した理想の国家を作ることを夢見て、不眠不休の作業を続けました。
最高権力者だったマッカーサーの強力なプッシュが、「押しつけられた憲法」観の所以ですが、当のアメリカは、現在も「男女平等」を書いた修正案が通らず、憲法上は「男女平等」ではありません。憲法についてちょっと考えている人はご一読を。
アベちゃんはもう読んだかな?

さてと、こんな商売をしていると、時折へぇ~と思うような人に出会います。
朝、マルカツの横に車を止めていると、三十才くらいの若い女性が乗ってきました。「引越しをしたいんですけど、手伝ってもらえませんか?」って。私はタクシーで引越しはちょっと無理ではと思ったのですが、彼女が「家具はないですし、布団が一組と衣類がちょっと、あとは猫が二匹です」というものだから引受けることにしました。
繁華街のビルの一室に彼女は住んでいました。エレベータの前にはすでにそれらしき段ボール箱とビニール袋が積んであり、上手に積めばほんとに一回で終わる量でした。「あとは布団と猫だけなんで、ちょっと待っててくださいね」。彼女がエレベータで上がって行ったので、私は荷物を助手席・トランク・後部座席の順に運び入れ、なんとか残りの布団と猫二匹と人がひとり乗っても大丈夫なスペースを作りました。

彼女が引越しを手伝ってほしいと車に乗ってきてから、橋を二つ越えた街の古いアパートに荷物を運び入れ、タクシー料金とお礼だという三千円を私が少し恐縮して受けとるまでに要した時間は三十分弱でした。
少しばかりの衣類と本、そして大量の『東京新聞』と猫二匹を抱えて引越しをした彼女。彼女が去ったビルの一室には、大型のテレビも冷蔵庫もダブルベッドもあり、別の女の所で遊び呆けて帰宅した男が、洗面所の鏡に真っ赤な口紅で殴り書きされた「クタバレ、ロクデナシ」の文字を見て悄然としている姿を、私は想像しました。そしてそれはまさに昔の私の姿そのものでした。
私は彼女がいま、二匹の猫との平穏な日々をおくっていることを切に願っています。

良いニュースと悪いニュースがある

夜半の春小説の死は甘きかな 照井 翠

春寒や導師のつむじ見当たらず 侘助

illustration by omi

illustration by omi

村上春樹の小説は難しい。二度三度と読み返さなければ、作者の意図が見えないんですから。
それに比べると、日本国憲法は割とわかりやすいですね。憲法は、公権力に対し国民から発した命令の集合体です。主権者が誰であるか、二度と戦争を起こさないように、人権を蹂躙しないようにと公権力に命令しているわけです。
この原則は、将来国民が改正を選択しても変わらないはずということを踏まえ、J党の草案を読むと、ちょっと瑕疵が多いような気がします。
ホームページから引くことの出来るこの草案を教材に、中高生にマチガイ探しをしてもらいたいと思いました。当然「別にコレでいいんじゃね」という回答も含めて、私は彼らの素直な意見を聞きたい。

さてと、先日母が亡くなり、通夜の終わりに喪主の私はこのように挨拶しました。「長男の○○、そして妻の○子です。本日は何かとお忙しい中、母の通夜にお集まりいただきありがとうございます。母は五月三日、私たちの前でとても静かに息を引き取りました。

私たちは昨年結婚したのですが、私はそれを母に一切報告せず、妻からの再三にわたる「お母さんに会いたい」という懇願も無視し続けておりました。この度の入院中、まだ意識もあり、言葉も発することの出来た三十日に初めて、母に紹介したところ、とても喜んでくれました。こんなことなら何故もっと早く紹介しなかったのか、そして二人で色々な話をしてもらわなかったのかと、今さらながら私の捻じれた思いを後悔し、反省しているところであります。

この度の葬儀は、生前の母の希望でごく近しい方々にのみ連絡を差し上げましたが、思いがけず直前までお世話になっていたグループハウスの皆さんが大勢来て下さいました。よろしければTの皆さん、その場で少しだけお立ちいただけますか。

こちらにお世話になる前の母は、リウマチで手足が不自由なため、外出はほとんどせず、自宅茶の間に置いた椅子に座ったまま一日の大半を過ごしておりました。Tに入居してからは、皆さんの介助によって買物はもとより、ハウスで催される色々な楽しいイベントに参加したり、季節折々に企画される小旅行に連れて行ってもらえることを、いつも大変喜んでおりました。若い頃から身体の痛みが消えることはありませんでしたが、晩年の母は皆さんのお蔭でとても幸せそうでした。
長い間の心温まる優しい介護に対して、母になり代わり、また家族として、この場をお借りして心から御礼申し上げます。ありがとうございました。(後半省略)  本日は誠にありがとうございました」

母の死により、身内が一人も居なくなるはずの私に、三人の家族が出来たことを知らされた親戚の人たちは、きっとこう思ったでしょうね。(やれやれ今夜は、悲しんでいいのか、メデタイんだか)

有名人を知っている

春の海髪一本も見つからぬ 照井 翠

カリカリはしつかり食べる猫の恋 侘助

 

「自転が地球の一日を刻むように、太陽の周りを巡る公転が私たちに四季の移ろいをもたらします。しかもそのせいかどうかはわかりませんが、地軸が約二十三度傾いているので北海道には長く厳しい冬が訪れるんです」

私が小学生の頃、爆発的に売れた科学オモチャの『地球ゴマ』を手に、瑛子先生が説明してくれました(本当はもっと易しい言葉で)。

驚くことに『地球ゴマ』は今も月産二千個を三人の職人さんが手づくりしているそうです。私の知らないところで日本のモノづくりは営々と続いていたんですね、スゴイ。

ですからTPPの圧力なんかに負けないでほしい。私は外国産と比べて高くても日本の生産者が作ったものを買います。まわりくどい言い方ですいませんね。要するにもうすぐ春が来ると宣言したいわけです。去年も来たんだからきっと来ます。

 

さてと、

まだ学生の頃だったと思いますが、ある酒場のママさんに「○○君は何になりたいの?」と訊かれたことがあります。小学生でもあるまいし、二十歳をとうに過ぎている男にこんな質問どうかと思いますが、私の応えは「おれは有名になりたい」でした。酔っぱらっていたのを割引いても、じつに恥ずかしくバカな返答ですね。でも当時は本当にそう思っていたような気がします。

ろくに学校にも行かず、アルバイトの給料をほとんど飲み代に使い、将来の全く見えない生活を送りながら、ただ闇雲に有名になりたいって。何を考えていたのか、このオトコって思いますね。

ところで私が親しくしている人の中に有名人は一人もいません。この場合の有名人とは、ご近所とか旭川市とか北海道で有名ということではなくて、全国的にという意味ですが。

でも、昔親しくさせてもらっていた人が有名人になったってことはあります。

時代は岡林からユーミンへ。世の中の雰囲気が前のめり気味でトンガッテいた状態から、少し穏やかになり始めた頃。

Kさんは当時、アジアから中近東・欧州あたりを放浪して帰国したばかりだったと記憶しています。大学生の弟さんのアパートに居候して、よく私の向いの部屋に住んでいた友達を訪ねてきていました。

大柄な坊主頭で、いつもTシャツにGパン姿のKさんは、友達のところに恋人が来ていたり、不在だったりしたときには私を表通りの喫茶店に誘いだして私の悩みを聞いてくれたり、故郷の茨城訛りで旅の話をしてくれました。

やがて出版社に勤めていたその友達が会社を辞めて信州に帰ってしまうと、Kさんと会う機会もなくなりました。

黒澤明のサード助監督として、『どですかでん』の撮影に入ると聞いたのが最後だったような気がします。

Kさんはのちにチーフ助監督・脚本として、黒澤映画を最後まで支えました。

映画好きの方ならもうお分かりですね。『雨あがる』や『阿弥陀堂だより』で日本アカデミー賞を獲り、黒澤明の遺伝子を継承する唯一の映画人と評された小泉堯史監督がその人です。
サングラスの奥の優しい眼差しは、喫茶『戸塚苑』の不味いコーヒーを飲みながら話をした昔と少しも変わりません。

小泉さん、私のこと憶えているかなあ(いないよ)。

松井引退、そして私の重い腰

寒昴 たれも誰かの ただひとり 照井 翠

句集「竜宮」(角川学芸出版)より。作者は岩手県釜石市の高校教師。あの日被災しました。日々に疎くなるのは人の常。でも忘れてはならないですね……福島も。

 

去年暮れの政権交代には何の感慨もありませんが(というのはウソで、あの面々を毎日のように拝むのは気が滅入るので、ニュースを見るのと新聞をとるのを止めてしまおうと考えている今日この頃です)、その日が近いのはわかっていても、松井秀喜の引退には、シミジミとしたまんま新年を迎えてしまいました。 高三夏の甲子園での五打席連続敬遠。ドラフトで彼の指名権を自らゲットした時の長嶋さんの笑顔。巨人のユニフォーム・ロゴが「TOKYO」から「YOMIURI」に変わった時、「どうして伝統をもっと大切にしないのだろう」と呟いたのが記事になり、ナベツネの血圧を急上昇させたという痛快なエピソードなどが思い浮かびます。去年レイズのユニフォームを着た彼が、ベンチから寂しそうにゲームを見つめる姿が今も目に焼付いています。  私の野球観戦人生(どんな人生じゃい)にとって、もう出会うことがないであろう最後のスラッガー。あとは草葉の陰で、中田翔のスウィングの成長を静かに見守ることにします。   さてと、  「あ、雪の匂い あさひかわ」というコピーを最初に見たのは旭川空港でした。どこの会社かは忘れましたが、飛行機の機体に描かれていましたね。あれを見たとき、なかなかロマンチックでいいじゃないかと思ったものですが、今は冗談じゃないよって気分ですね。今日、車線の半分を占領する雪山で渋滞する三十九号線で、前を走る軽自動車に「あ、雪の匂い」ステッカーが貼ってあるのを発見して、怒りで追突しそうになりました。  毎年のこととはいえ、北国の人は実に辛抱強いと思います。真偽のほどは定かではありませんが、排雪の遅れは、作業に必要なダンプカーの多くが東日本の被災地に行ったまま戻らないからと聞くと、あげた拳の収め場所に困るじゃありませんか。

我が家の古いカマボコ型車庫が、雪の重みにじっと耐えています。「我が車庫よ永遠なれ」とは思えども、私の腰は重く、なかなか除雪モードに入りません。十二月の半ばに一度降ろしてから約ひと月、またもや一メートルの厚さになっているというのに。しかも三日夜の暴風(雪)のおかげで雪は屋根からはみ出し、まるで北斎の「富嶽三十六景・神奈川沖浪裏」のようにもんどりうつような有様です。  水は一立米で一トンの重さがありますが、雪はそんなには重くないですよね、きっと。アバウトに重さが水の半分だとすると、約二十平米の車庫に一メートルの雪が積もっているとしたら、二十×五百キロで約十トンもの重さになります。私は屈強頑健なばんば馬が十頭、車庫の上に寝そべっている光景を想像し、思わず「動くな!」と叫びたくなりました。  道理より物理が苦手な私でも考えました。あのカマボコの形は平面に堆積したものより重力(万有引力)を分散させてくれるからまだ耐えられるし、ニュートン先生もお墨付き…なんてバカを言ってないで、さっさとこの原稿を仕上げ、除雪に取り掛からねば。何せ車庫には、一九九九年型メルセデス・ベンツE二四○アバンギャルドが眠っているのですから。

いったい我が車庫は「永遠」なんでしょうか、って他人に訊くな。