良いニュースと悪いニュースがある
夜半の春小説の死は甘きかな 照井 翠
春寒や導師のつむじ見当たらず 侘助
村上春樹の小説は難しい。二度三度と読み返さなければ、作者の意図が見えないんですから。
それに比べると、日本国憲法は割とわかりやすいですね。憲法は、公権力に対し国民から発した命令の集合体です。主権者が誰であるか、二度と戦争を起こさないように、人権を蹂躙しないようにと公権力に命令しているわけです。
この原則は、将来国民が改正を選択しても変わらないはずということを踏まえ、J党の草案を読むと、ちょっと瑕疵が多いような気がします。
ホームページから引くことの出来るこの草案を教材に、中高生にマチガイ探しをしてもらいたいと思いました。当然「別にコレでいいんじゃね」という回答も含めて、私は彼らの素直な意見を聞きたい。
さてと、先日母が亡くなり、通夜の終わりに喪主の私はこのように挨拶しました。「長男の○○、そして妻の○子です。本日は何かとお忙しい中、母の通夜にお集まりいただきありがとうございます。母は五月三日、私たちの前でとても静かに息を引き取りました。
私たちは昨年結婚したのですが、私はそれを母に一切報告せず、妻からの再三にわたる「お母さんに会いたい」という懇願も無視し続けておりました。この度の入院中、まだ意識もあり、言葉も発することの出来た三十日に初めて、母に紹介したところ、とても喜んでくれました。こんなことなら何故もっと早く紹介しなかったのか、そして二人で色々な話をしてもらわなかったのかと、今さらながら私の捻じれた思いを後悔し、反省しているところであります。
この度の葬儀は、生前の母の希望でごく近しい方々にのみ連絡を差し上げましたが、思いがけず直前までお世話になっていたグループハウスの皆さんが大勢来て下さいました。よろしければTの皆さん、その場で少しだけお立ちいただけますか。
こちらにお世話になる前の母は、リウマチで手足が不自由なため、外出はほとんどせず、自宅茶の間に置いた椅子に座ったまま一日の大半を過ごしておりました。Tに入居してからは、皆さんの介助によって買物はもとより、ハウスで催される色々な楽しいイベントに参加したり、季節折々に企画される小旅行に連れて行ってもらえることを、いつも大変喜んでおりました。若い頃から身体の痛みが消えることはありませんでしたが、晩年の母は皆さんのお蔭でとても幸せそうでした。
長い間の心温まる優しい介護に対して、母になり代わり、また家族として、この場をお借りして心から御礼申し上げます。ありがとうございました。(後半省略) 本日は誠にありがとうございました」
母の死により、身内が一人も居なくなるはずの私に、三人の家族が出来たことを知らされた親戚の人たちは、きっとこう思ったでしょうね。(やれやれ今夜は、悲しんでいいのか、メデタイんだか)