「おにぎりに感動する」の巻
食の指向が変わったり好き嫌いが治まるのは、意外に他愛もないことが理由だったりする。
自分がここのところ凝っているおにぎりも然り。映画『かもめ食堂』がきっかけだった。
とある食堂を舞台とした作品にはしばしばおにぎりが登場する。劇中、おにぎりは遠足に持っていくような非日常的なものとしてでなく、日常的な食事として扱われ、お腹を満たすだけでなく心も豊かにする、そんな力をもったものとして描かれていたように思う。おにぎりを拵える、食べる、すべての動作は自然で屈託がない。ほのぼのとした空気感に、おにぎりっていいものだなあと、すっかり感化されていたのだった。
観終わった直後の食事は勿論おにぎり。何よりもまず飯を炊き、主人公がそうしていたように、自分で握ってみたくなった。ふと思えば、おにぎりなんぞ食べる一方で、拵えたことがない。いわば、人生初握りはことのほか美味しかった。
映画ついでにもう一つ。おにぎりを「握る」ことに関しては『南極料理人』は圧巻だ。ご飯が手の平の中でおにぎりに変わっていく様子は芸術的に見え、単なる食欲を越えた感動さえ覚える。ご飯を茶碗に盛るか握るかの違いなどではない。おにぎりは、高い完成度を秘めた料理なのである。
かくして好物は何ですかと聞かれたら裸の大将よろしく「おにぎり」と答えるようになった自分なのだが、おにぎり一個で幸せな気持ちになれるのはずいぶんと安上がりで得したような気もしている。
何しろおにぎりは手軽である。食べたくなったら拵えればよい。映画でも、そんなふうにしていとも簡単におにぎりがテーブルにのった。
ところで、こんなマニアックな事情ではないにしろ、おにぎりは好きという人は多いと思う。というか嫌いという人には会ったことがない。また、食べると何かしら気分が良くなる、というのも皆の共通認識。おにぎりには、楽しい遠足の思い出だとか、握ってくれる家族の思いが刷り込まれているからだ。本来おにぎりとはそんなものだ。
皆様も今夜あたり、食卓におにぎりを並べてみてはいかがだろうか。家族で頬張るおにぎりはきっと美味しい。
ちなみに自分が握るとおにぎりは三角。母からの遺伝だ。