善き人は成功者になれないか

風花の舞えば舞うほど還らぬ日
冬の青空にちらちらと舞う雪が風花(かざはな)。
 池田 澄子

風花はかざはなのまま暮れてゆき 侘助

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「成功者」というのは一体どんな人のことをいうのでしょうか。お上から勲章をもらったり、オリンピックで金メダルを獲ったり、中くらいから上の会社の社長になったり、世界が驚く発見をした科学者をいうのでしょうか。
というのも、『いい人は、成功者になれない』、たしかこんなタイトルの本をコンビニの片隅で見かけたんです。
悩める大人ならちょっと気になるタイトルの本、でも千円出してまで買う気がしないときに、大抵人はその本を手にとってまず目次を開き、中でも興味深い項目のページを見つけて「立ち読み」を始めますね。でも私はそんなことはしません。
古くは「モーゼの十戒」、あるいは西方教会の「七つの大罪」のように、私にはしてはいけないと自らを厳しく戒めている事柄がいくつかありますが、その内の二つが本屋での「立ち読み」と、自己啓発といった類の本を手にとることです。立ち読みは、袋菓子を破って中身を覗くのと同じ行為だと考えるからであり、自己啓発は、自分にはどうせムリと思うからであります。
ではどうするか。私はその気になる本の前に立ち、両手を後ろ手に組み(これが肝心)タイトルを凝視します。立ち読みはしてないよ~と、店員さんにアピールするわけですが、同時に本の内容を「透視(盗撮ではありません)」するわけですね。私には昔からその能力があります。ま、そんな術を使わなくとも、この著者の言わんとしていることはわかりますけれど。「いい人が成功しない」のは人が善いからでしょ!ノーと言えないんですね。飲み会に誘われても、保証人を頼まれても、謎の宗教信者が現われても、健康食品の販売員が玄関先で話し始めても、町内会長に推されても断れません、善い人は。

その結果は二日酔いで一日を棒に振り、大きな借財を背負い、捨てるとバチの当たりそうな小冊子を押しつけられ、ちっとも元気にならない摩訶不思議を毎日飲み、顔も合わせたことのないご近所のために市民委員会に出席するはめなるのです。これではアナタ、自分が成功するために努力する時間的・精神的余地がないではありませんか。自らを成功に導くためには邪魔なこと、煩わしいことには毅然としてノーと言う。そういうことなんでしょう。

しかし、「成功者」の一人、割烹着を着てSTAP細胞(多能性細胞)を開発した小保方晴子さんは、権威ある科学誌からアンタの論文は「歴史を愚弄するものだ」と最大級の「ノー!」を突き付けられても、自分を信じて研究を続けました。きっと彼女は、寝ても覚めてもトイレの時も、研究のことが頭から離れたことはなかったでしょうね。もしかすると、飲み会やデートに誘われても断ったことがあったのかもしれません。でも、彼女にしてもノーベル賞の山中教授にしても、研究の動機は、「不妊に悩む女性を助けたい」「難病に苦しむ人を助けたい」一心だったわけで、私にはとても「善い人」に見えるんですけどね。
小保方さんは、割烹着を着たお母さんがレンコンを酢水につけてシャキッとさせるのを見て、研究のヒントにしたんでしょうか?
なわけないか。