子離れと親離れ

「パルコもラフォーレも、みんな今、セール中だよ」しばらく音沙汰がなかった娘からメールが来た。元気だとか、自分の近況などは一切書いていない。本当に久しぶりのメールなんだから、暑いとか、何食べたとか書いてきてもいいのに。慣れているとは言っても、ちょっと腹が立つというか寂しい。「もうすぐ東京に行くよ」と日程を書いたら、「セール終わってる。タイミング悪すぎ」と来た。「久しぶりに来るの?嬉しい」とか何とか書いてきてもいいのに。一緒にバーゲンに行って、洋服を買ってもらおうという魂胆なのだ。私はと言えば、バーゲンはプレセールから行って結構買っている。娘だって欲しいだろうにと、甘い母はお小遣いを送るからと返事した。するとすぐに「わーい♡アリガトウ」と返事が来た。大学の文学部日本語学科で勉強したんだから、もう少し長い文章が書けないものだろうかと思いながら「わーい♡」という文字を見ながらにやけている。

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 友達は、子離れした方がいいんじゃないのと言うが。いいのだ。家の場合、子どもが先に親離れをした。寂しくはあるけれど、慣れてくると頼もしいとさえ思えてくる。「朝は必ず電話するの」とか「夜はほとんど毎日、かかってくるわね」というママ友達を、うらやましく思った時期もあったが、今はこれでいいと思っている。セール中だよという短いメールは、東京に来ないのかとか、洋服買ってという気持ちが、言外にあふれている。それを察知するのだ。
フィット創刊号の時、娘はまだ小学生だった。平成12年、介護保険制度が施行され、家のおばあちゃんも利用するので、読者の皆と一緒に勉強していこうと「ケロコの介護日誌」が始まった。まずはおばあちゃんの紹介をと書き始めたら、筆が止まらなくなった。介護保険の話よりも、嫁姑の話になった。飾ることなく、リアルに正直に書いたので評判になり、「ケロコの介護日誌」が出版され、「主人の母でなかったら」という歌まで書いて歌って、日本クラウンからメジャーデビューしてしまった。今、その時には関心がなかった人も、介護をするようになって、この歌は素晴らしいと言ってくれている。百分の一くらいは、ヒットの可能性がまだあるかもしれない。
おばあちゃんが亡くなって、再びこのエッセイが始まった。一人娘を東京の大学に行かせ、寂しい気持ちをありのままに書いた。最初、娘から「私のプライバシーだから何でも書かないで」とクレームが来たが無視。色々な所で、知らない方からも声をかけられる。「家にも娘がいるけれど一緒。読んで安心しています」とも言われた。娘のことの次は、倦怠期の夫婦について書こうと思っていた。「ゼロの座標」という歌が先にできたけれど。これからどうなって行くのか、心配というよりも、とても楽しみだ。