有名人を知っている

春の海髪一本も見つからぬ 照井 翠

カリカリはしつかり食べる猫の恋 侘助

 

「自転が地球の一日を刻むように、太陽の周りを巡る公転が私たちに四季の移ろいをもたらします。しかもそのせいかどうかはわかりませんが、地軸が約二十三度傾いているので北海道には長く厳しい冬が訪れるんです」

私が小学生の頃、爆発的に売れた科学オモチャの『地球ゴマ』を手に、瑛子先生が説明してくれました(本当はもっと易しい言葉で)。

驚くことに『地球ゴマ』は今も月産二千個を三人の職人さんが手づくりしているそうです。私の知らないところで日本のモノづくりは営々と続いていたんですね、スゴイ。

ですからTPPの圧力なんかに負けないでほしい。私は外国産と比べて高くても日本の生産者が作ったものを買います。まわりくどい言い方ですいませんね。要するにもうすぐ春が来ると宣言したいわけです。去年も来たんだからきっと来ます。

 

さてと、

まだ学生の頃だったと思いますが、ある酒場のママさんに「○○君は何になりたいの?」と訊かれたことがあります。小学生でもあるまいし、二十歳をとうに過ぎている男にこんな質問どうかと思いますが、私の応えは「おれは有名になりたい」でした。酔っぱらっていたのを割引いても、じつに恥ずかしくバカな返答ですね。でも当時は本当にそう思っていたような気がします。

ろくに学校にも行かず、アルバイトの給料をほとんど飲み代に使い、将来の全く見えない生活を送りながら、ただ闇雲に有名になりたいって。何を考えていたのか、このオトコって思いますね。

ところで私が親しくしている人の中に有名人は一人もいません。この場合の有名人とは、ご近所とか旭川市とか北海道で有名ということではなくて、全国的にという意味ですが。

でも、昔親しくさせてもらっていた人が有名人になったってことはあります。

時代は岡林からユーミンへ。世の中の雰囲気が前のめり気味でトンガッテいた状態から、少し穏やかになり始めた頃。

Kさんは当時、アジアから中近東・欧州あたりを放浪して帰国したばかりだったと記憶しています。大学生の弟さんのアパートに居候して、よく私の向いの部屋に住んでいた友達を訪ねてきていました。

大柄な坊主頭で、いつもTシャツにGパン姿のKさんは、友達のところに恋人が来ていたり、不在だったりしたときには私を表通りの喫茶店に誘いだして私の悩みを聞いてくれたり、故郷の茨城訛りで旅の話をしてくれました。

やがて出版社に勤めていたその友達が会社を辞めて信州に帰ってしまうと、Kさんと会う機会もなくなりました。

黒澤明のサード助監督として、『どですかでん』の撮影に入ると聞いたのが最後だったような気がします。

Kさんはのちにチーフ助監督・脚本として、黒澤映画を最後まで支えました。

映画好きの方ならもうお分かりですね。『雨あがる』や『阿弥陀堂だより』で日本アカデミー賞を獲り、黒澤明の遺伝子を継承する唯一の映画人と評された小泉堯史監督がその人です。
サングラスの奥の優しい眼差しは、喫茶『戸塚苑』の不味いコーヒーを飲みながら話をした昔と少しも変わりません。

小泉さん、私のこと憶えているかなあ(いないよ)。