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授乳にかかわる諸問題③
母乳が不足していると思ったら、すぐ混合栄養にするのが現在では常識のようになっていますが、そうするとさらに母乳の出が悪くなります。理由は、母の乳頭からお乳を飲む時とゴム製の乳首から飲む時とでは、赤ちゃんの唇や舌の使い方がまったく違うからです。
母の乳頭からの飲み方では、赤ちゃんは乳頭を舌の上にのせ、舌をまるめて乳頭をくるむようにします。お乳は乳房の奥から泉のように湧いてくるので吸い取る必要はありません。湧き出てくる圧力を利用して乳頭を少し押すようにして飲みます。
ゴム乳首の場合は私たち大人がストローで液体を吸う時と同じです。赤ちゃんは舌でゴム乳首を上顎と舌の間に固定します。ビンの中身は自然には出てこないので、赤ちゃんは口の中を陰圧にしてビンの中身を吸い取らなければなりません。
このように、母の乳頭の時とゴム乳首の時とでは飲み方がまったく違うのですが、問題はこの二とおりの飲み方を赤ちゃんは使い分けることができないという点です。
その上困ったことには、ゴム乳首の飲み方のほうが赤ちゃんにとってはやりやすいのです。
ここで、母乳と粉ミルクの混合栄養にしたら、どのような経過をたどるのか見てみましょう。初めてゴム乳首を含まされた赤ちゃんは、それまでの母の乳頭の含み方や舌の使い方を「ゴム乳首式」に変えなければなりません。何とかそれができるようになったと思ったら、また母の乳頭を含まされる。赤ちゃんは再びもとの母乳の飲み方に戻さなければならない。ところが母乳の飲み方のほうが難しい。こんなことをくり返しているうちに、赤ちゃんは母乳の飲み方がだんだん下手になっていきます。そうするとここに問題が発生するのです。
人間の乳汁は牛やヤギのように常時乳房の中に溜まっているのではなく、赤ちゃんが乳頭を含んだ時「乳汁製造開始」のスイッチが入るのです。しかし赤ちゃんが「ゴム乳首式」で吸いついた場合は、母体にとってスイッチ・オンにはなりません。そのためお乳の出方が悪くなり、赤ちゃんは母の乳頭を含むのを嫌がるようになる―こういう悪循環になって、最終的には出るはずの乳も出なくなってしまうのです。
ちょっとでもお乳の出方が少なくなると安易に粉ミルクで追加しようとする人が多いようですが、以上の経過でおわかりのとおり、「混合栄養にする」のは「母乳を止める」ことにつながるので、少しぐらい母乳が不足しても、ここは一番、母も子も辛抱することが大切なのです。
だから、母乳で育てている赤ちゃんに砂糖水、果汁などを与える時も、哺乳ビンを使ってはいけません。赤ちゃんの吸啜力を落としてはいけないので、スプーンで与えるようにしましょう。これはいささか面倒くさいことですが、親も子も忍耐して練習すれば、赤ちゃんは数日のうちにスプーンで飲めるようになります。もちろん母乳でも、いったんしぼって出してしまったものはスプーンで飲ませましょう。スプーンを使った場合でも、上手になれば授乳の所要時間は哺乳ビンで飲ませた時とほとんど変わりません。
桜吹雪の中で
東京では桜吹雪、旭川では本当の吹雪だった。4月初め、東京に行ってきた。今回は、娘に会うのが目的ではなく、パーティーで歌う歌の打ち合わせと、練習が目的だった。娘は「もともとへたなんだから、練習しても無駄じゃないの」と鼻で笑ったけれど、無駄とわかっていても、努力する母の姿を見せておきたい。
東京に着いた時、桜が満開。娘のマンションの前の桜並木は、風が吹くとピンクの花びらが舞い、それは美しかった。桜を見ながら、もう6年前になる娘の大学の入学式を思い出した。引っ越し、入学式と二度、旭川と東京を往復し、忙しい中満開の桜の美しさに癒やされたのを思い出す。
入学式の帰り道、カラスのフンを顔にかけられた。運がつくなんて言われたが、あれはショックだった。今回も東京に行く前、買物公園でおでこにフンをかけられた。たくさんの人が歩いているのに、何で私なんだ!娘に教えると「フン」と笑われたが、それってシャレ?久しぶりの娘の部屋は、思ったほど荒れていなかった。ちゃんとやっているじゃないか。台所には洗ってないお茶碗や鍋が、水につけられていた。見てみると、ラーメン、うどん、雑炊……んっ?いつから洗っていないんだ?
娘の仕事が終わる頃、会社の前で待ち合わせ。出て来る娘の姿は、なかなかカッコ良かった。同僚と満面の笑顔で「お疲れさま」と言い、私を見た時、いつもの無愛想な顔になった。何カ月、時間が空こうと、親子ってすぐに日常に戻れる。まるで、朝出かけていったかのように。「やせたんじゃない?」と言うと、「いやぁ」とニタッと笑った。「何でも好きな物、食べに行こう」と言うと、考えていたらしく迷うことなく一直線。熟成肉とワインのお店。高級そうだ。自分では行けないけれど、前を通るたびに、ママが来たらここに来ようと思っていたのだろう。そう思うと嬉しくなり、太っ腹な私は「何でも好きな物を、たくさん食べなさい」とメニューの値段を横目で見ながら言った。「これ頼んでいい?」「高いよ」と、いちいち聞いてくる。
一人で自分の給料で、親に助けを求めることなくやっている娘は、節約して堅実にやっているのだろう。そう思うと、なんだか愛しくて胸が熱くなる。私よりもずっと偉いじゃないか。
渋谷のオイスターバーに行きたいと言っていたけれど、お休みだった土曜日、表参道や新宿で洋服や靴などを買い、あんまり桜がきれいだから夜桜を見に行こうということになった。娘が幼稚園の年少さんの頃に行った、目黒川の桜。覚えているかと思ったら、全く覚えてなかった。中目黒の駅に降りると、ものすごい人。ラッシュアワーだ。そこに近づいて来た背の高い若い男性がいた……。
「旭川市立緑ヶ丘小学校」
開校40周年 輝く夢!
旭川市緑が丘3条4丁目にある緑が丘小学校は、
開校40周年を迎えました。そのお祝いの様子と、
元気な子供達の毎日を御紹介します。
新しくなった体育館
0年前の緑が丘。まだ住宅もまばらでした。開校当時は体育館やプールもなく、校舎も現在の半分程度。それから40年。約4400名の卒業生を輩出し、街も発展し、生徒数も増えて来ました。40年を迎えたこの年、耐震工事をしていた体育館が完成しました。開校当時、体育館が建設中で、色々不便なことがありましたが、耐震工事中も廊下で朝会をしたり、運動会を秋に実施したりしましたが、完成して新築かと思うくらいの素晴らしい体育館を見て、子供達も先生も心から喜びました。
照明は市内初のLED照明。バスケットのバックボードは木製からアクリル板になりクリアになりました。そして電動で下りて来ます。ラインは床を削って引き直しました。ボロボロだった窓枠も塗り直してきれいになりました。時計も新しく大きくなりました。体育館の玄関は、扉の向こうはすぐに外だったので、とても寒かったのですが、中扉ができてとても温かくなりました。玄関にあった水道も冬は凍結するので使えなかったのが使えるようになり、トイレも学校で一番きれいなトイレになりました。
2月19日に、開校40周年をお祝いする歌声集会が、新しくなった体育館で開催されました。「40周年 輝く夢を ひびかせよう!」と題し、全校合唱や全体合唱があり、開校40周年までのあゆみがスライドで上映されました。校歌、宝島、トゥモロー、ふるさと。一曲一曲がそれぞれの心に響いて来たことでしょう。
40周年にちなんで
緑が丘小では40周年を記念して大々的な式典などは行いませんでしたが、運動会や学芸会では40周年にちなんだ物が登場しました。運動会では、開校当時、10年、20年、30年、40年の校長先生の写真が並び、サイコロを投げて、出た目の校長先生にタッチする競技は、大いに盛り上がりました。
学芸会では40年位前の曲を踊りました。「ヤングマン」「私の彼は左きき」これがとても上手。上手という言葉では表すことができないくらい最高。本当に楽しいんです。一番受けてたのは、もしかしたら先生達だったのかもしれません。とても面白くて評判が良かったので、6年生を送る会でも踊りました。送る会では1年生はスーパー6年生というコントを、3年生は6年生の担任の先生をゲストに招いてテレホンショッキングをしました。緑が丘小の子供達の明るさとセンスの良さは最高です。
みどりスタイル
緑が丘小の吹奏楽クラブは、北海道吹奏楽コンクールに地区代表で3年連続出場しました。札幌コンサートホールキタラで力強い演奏を披露し、大きな拍手をいただきました。入学式や卒業式、運動会などでも活躍しています。
また、6年生に道北初のドクターヘリシミュレーションが行われました。フライトドクターとフライトナースも来て話をしてくださいました。先生は小学生に話すのは初めてですと言いながら、興味深い説明に、皆熱心に耳を傾けていました。
緑が丘小には若い先生も多く、23才の清水孝治先生、26才の森山文乃先生達は、子供達から信頼される先生を目指して、熱心に指導をしています。そんな先生達の熱い想いが通じているせいなのでしょうか。
そんな先生達の熱い想いが通じているせいなのでしょうか。緑が丘小の子供達は元気で明るく、本当に楽しい、子供らしい子供です。ズンドコ節を踊る姿を見た人は、誰でも笑顔になり、その一生懸命さを、ずっと見ていたい、そんな気に誰でもなります。周りの人も幸せにする、そんな子供が育って行く、素晴らしい環境がある小学校です。そんな先生達の熱い想いが通じているせいなのでしょうか。緑が丘小の子供達は元気で明るく、本当に楽しい、子供らしい子供です。ズンドコ節を踊る姿を見た人は、誰でも笑顔になり、その一生懸命さを、ずっと見ていたい、そんな気に誰でもなります。周りの人も幸せにする、そんな子供が育って行く、素晴らしい環境がある小学校です。
先生になって3年目。真面目で伸び伸びと過ごしている子供達の一年間の成長が嬉しいと話します。大学時代はハンドボールをしていました。今はバスケット少年団を担当しています。一人暮らしで得意料理はキンピラ、煮込みハンバーグ等ですが、帰りが遅いのでスーパーのおかずになることもあるとか。楽しい学校生活が送れるようにと願いながら指導しています。
心は強く姿勢は正しく 表情キリリ『旭川剣風会』
「うちの子、背中が丸まっていて姿勢が良くないの……」
なんて悩みを子育て中のママから聞かされることがありますが、
剣道をしている子供たちって背筋がスッと立って姿勢がキレイですよね!
普段あの少年少女剣士たちはどんな練習をしているのでしょう?
旭川神社(東旭川)の境内・兵村記念館内にある道場で稽古に励んでいるのは、半世紀に迫る歴史を誇る『旭川剣風会』。
防具に身をつつんだ皆さんがキビキビとした動作で動き回り、鋭いかけ声が緊張感の漂う道場に響き渡ります。
「最初は6名の子供を相手にスタートしたんですよ」。
1967年(昭和42年)の創設時を振り返るのは、会長の荒川 順夫さん(六段)。
当時の出仕が旭川神社の境内砂場で子供たちを相手に稽古をしたのがはじまりでした。
徐々に近郊の子供たちを中心に会員が増え、現在会員数は大人30名、子供20名。指導部を中心に有段者による指導で、子供剣士たちもぐんぐん上達しているそうです。
「剣道の技術はもちろん大切ですが、まず最初に教えるのは礼儀。
きちんとあいさつしたり、時間を守ったり、目上の人に正しい言葉遣いができたり、本当に基本的なことなんですけど」と道場主幹でもある荒川さん。
厳しく正しく躾をしようと子供を入会させる親御さんも多く、大人の会員の中には子供と一緒に入会して初めて竹刀を握った方もいるとか。
「野球やサッカーなど球技はちょっと苦手かな、という子供でも大丈夫ですよ」。
剣道にはまた違うセンスが要求されるのでしょうか。
さて、毎回稽古が終了すると道場は一瞬の静寂につつまれます。そして……。
「一つ、礼節を重んじます!」「一つ、責任を全うします!」。
全員で五か条の「剣士の誓い」を唱えるのです。この清々しさって最近感じたことがなかった!
旭川神社主催の奉納大会や春季大会・秋季大会(市長杯)など「真剣勝負」の大会前には、いつも以上に厳しい稽古が待っているようですが、子どもたちがリラックスして楽しめるイベントもあるとか。
「夏休み期間中には北見(端野)や歌登など地方にみんなで遠征して、他の剣道団体と合同で稽古をしています。一泊二日ですから夜は一緒にご飯を食べて、子どもたちは楽しそうですよ」
心と身体を強く、姿勢を正しく、そして仲間と楽しく—子供たちに何かスポーツをさせたいな、と思っているパパとママ、これまで剣道には無縁のご家庭でも百聞は一見に如かず。ぜひ一度道場で見学されてはいかがですか?
旭川剣風会
旭川神社社務所/0166-36-1818(芦原)
ホームページ/www.k-planninginc.com/kenpuukai/top.html
旭川剣風会のブログ/ blogs.yahoo.co.jp/kenpuukai
ただいま会員募集中!
授乳にかかわる諸問題②
母の乳頭とゴム乳首の違い
赤ちゃんの身体に刷り込まれるものに、もう一つ大事なことがあります。それは乳頭(乳首)の問題です。
赤ちゃんが生まれて初めてくわえたものがゴム製の乳首であった場合には、赤ちゃんはそれを自分専用の乳頭だと思い込むので、その後になって実母の乳頭を含ませようとしても、〝これはオレのじゃない〝という反応を起こし、その後の授乳がやりづらくなることがあります。
したがって赤ちゃんが初めて母の乳頭を含むよりも先に、哺乳ビンのゴム乳首をくわえさせてはいけません。中身が粉ミルクではなく単なるブドウ糖液であっても、ゴム乳首であることが問題なのです。
一方、母乳で育っている赤ちゃんが四ヶ月ぐらいになったとき、果汁などを哺乳ビンで飲ませようとすると、ゴム乳首を嫌がってどうしても飲もうとしないことがあります。もちろん〝これはオレのじゃない〟というわけですが、こういうのはとても好ましいことなのです。母の乳頭のインプリンティングがうまくいっている証拠だからです。こういうときは赤ちゃんの心が健やかに育っているのですから、そのことに感謝しながら気ながにスプーンで飲ませるようにしましょう。
ゴム乳首の孔が大きいと無気力な人間を作る
赤ちゃんが〝あぁ、おなかが一ぱいになった〟という気持ち、つまり満腹感は単に胃袋がお乳で一ぱいになっただけでは起こりません。胃袋がお乳で一ぱいになると同時に、お乳を一所懸命に吸啜したことによるホッペの筋肉の疲労がないと、赤ちゃんは満腹になった気がしないものなのです。
粉ミルクで育てる場合、使っているゴム乳首の孔が大きいと、赤ちゃんはそれほど強く吸わなくてもお乳はどんどん出てきます。そうすると赤ちゃんの胃袋はもう一ぱいになっているのに、ホッペの筋肉はまだ疲れていないという状態が生じます。このようなとき、赤ちゃんは実際にはもう満腹になっているのに口だけはまだお乳を吸う動作を続けることがよくあります。
赤ちゃんがもっと飲みたいような動作をしているのを見ると、私たちは赤ちゃんのおなかはまだ一ぱいになってはいないのだと思い、ついつい必要以上に飲ませてしまいます。
親というものは赤ちゃんがグイグイ飲んで太ってくると、それが立派に見えてとてもうれしいのですが、太りすぎると将来の肥満につながる恐れがあり、しかも成長期の肥満は後になって何かと厄介な問題を引き起こしてくるので厳重な注意が必要です。赤ちゃんの体重はそのときの身長に見合った体重よりも重くならないように注意しましょう。
さらにゴム乳首の孔が大きいと、赤ちゃんは努力しなくても楽にお乳が飲めます。これは『食物を手に入れるには大変な苦労が必要なのだという、あらゆる動物の生存に基本的に必要な心構えを作る機会を失わせることになり、その赤ちゃんは将来無気力な人間になる』と動物行動学者のK・ローレンツが言っています。肥満にしても無気力にしても、いずれも重大なことなので、粉ミルクで育てるときは、乳首の孔は一番小さいのを使いましょう。
コンプリートしたい!
私にとっては遠い道のり、それでも行きたいお店がある。
がっつり食べたい男性達、小さな子供と一緒のママ達、
野菜をたっぷり食べたい女性達…
ランチに対する思いは違うけれど、たぶん「charichari」さんなら願いがかなう、
そんな風に思えるメニューがたくさん。
でも、かなうのは食べ物だけじゃ無いのよ。
オーナーの安藤史子さんもスタッフも小さな子供がいるママ達、
だから子供を連れてランチに行きたい思いも解る。
でも、子供を連れた人達だけに良いお店って、苦手な人も多いよね。
特に男性一人じゃ入りずらかったり、でもきっと大丈夫、
誰もが心地よく食事を楽しめる、そんな住み分けがここにはある。
そして、店内に入った時に厨房から見えるみんなの笑顔に癒やされる。
さあ扉を開けてごらん、そこには・・・この合言葉知ってる人いるかな?
いつの日かメニューの完全制覇をするのが私の願い。
でも問題はお子様ランチ。
「御飯屋 チャリチャリ(chari chari)」
旭川市新富2条1丁目10-30
TEL/0166-74-7027
営/11:00~16:00(L.O.15:00)
休/日曜日・祝日
「旭川市立愛宕小学校 」
おめでとう!開校40周年!!
旭川市豊岡8条6丁目にある愛宕小学校は、開校40周年を迎えました。
たく さんの方々に支えられ、元気に学ぶ愛宕小の子供達を御紹介します。
開校40周年
愛宕小は、昭和49年2月8日に豊岡小から分離開校。
新設された校舎には、まだ体育館がなく新入生の入学式は廊下で行われました。
多少の不便があっても、地域の人達にとって開校は大きな喜びと希望に満ちたものでした。
その後も、地域や保護者の方々の協力で、開校してわずか5年で、校庭の整備、グラウンドの整備、遊具の設置等の環境づくりをし、子供達は伸び伸びと素晴らしい環境で学んでいます。開校直後には児童数が1000名を超すマンモス校になりましたが、昭和60年に愛宕東小の分離独立などがあり、現在は415名が学んでいます。
開校40周年を記念して、色々な事業が行われました。5月には大運動会。
40周年に因んだPTAの種目は「アラフォー玉入れ」。30秒以内にできるだけ総数40個に近い玉を入れた方が勝ち。大いに盛り上がりました。
10月には学習発表会。11月には地域や保護者の方々、同窓会やOB職員の方々に来ていただいた地域公開参観日を。40年の歴史を振り返り愛宕っ子が未来を語る音楽集会を見ていただきました。翌日には、開校30周年時に埋めたタイムカプセルの開封式も行われ、様々な形で40周年をお祝いしました。
どんちゃかまつり
昨年の11月29日には、愛宕小の特色ある教育活動である「どんちゃかまつり」が行われました。
4・5・6年生がお店を出して、他の学年はお客様。射的があったり、ペットボトルをボーリングのピンに見立ててゲームをしたり、まるで縁日のようです。6年生は、開会式を盛り上げ、ちょっと変わったゲームを考えました。お店を出す方も、遊ぶ方も、両方ワクワクドキドキ。
4年生から6年生は、どんな風にしたら喜んでもらえるかを考え、1年生から3年生は、将来の自分の姿を上級生に求めながら活動しています。子供達は自ら考え、実行することの大切さや重要性を「どんちゃかまつり」という直接体験を通して学んでいます。
愛宕小らしさを大切にした数々の特色ある教育活動のもう一つは、2月7日に行われた「愛スキャンドル」。夕方には点灯式を行い、キャンドルに明かりが灯されると歓声が!幻想的な雰囲気の中、冬のひと時を親子で楽しみました。また、PTA役員や保護者の方の協力で、ココアの提供も行われました。寒い時の熱々のココアのおいしさに、笑顔の輪が広がりました。
愛宕愛
愛宕小の地域の方々は、学校に強い愛情を持っています。
学校の隣に住んでいる評議員の髙橋力雄さんは、自費で花壇にお花を植えてくれています。
昨年は40周年を記念して「あたご40」とお花で描きました。
また、40年前に愛宕小の教員をしていた藤岡正隆先生は、「40年前も今も、学校は生き生きと躍動しています。教職員一丸となった愛宕小の皆さん、有難う!」という、思い出を綴った手記を書いて届けて下さいました。
読んで行くと、愛宕小に対するたくさんの愛情が感じられ、こういう方々に守られて子供達は育って来たんだと実感します。
愛宕小の子供達を見ていると、何事にも一生懸命まっすぐに取り組む姿勢がとても印象的。築40年の校舎は古いけれど、掃除が行き届いて清潔です。
1年3組の担任。秋田県出身。水泳の少年団の指導もしています。休み時間と授業のめりはりをきちんとする、優しく厳しい先生。初めて1年生を担任した感想は「皆、たいしたものです。前を向いて集中できるようになりました」。挨拶もきちんとでき、良く頑張る子供達ですと嬉しそうに話します。家では1才4か月の男の子の優しく厳しいお父さんです。
チャレンジし続ける伝統の醤油屋、春を詰めた「桜花しょうゆ」の完成です
琥珀色の水に浮かぶ一枝の桜。春を小瓶に詰めたような、素敵なお醤油が発売されています。この「桜花しょうゆ」を製造しているのは旭川最古の醤油製造所である日本醤油工業。同社は、様々なお醤油を開発・販売し続け、昭和にタイムスリップしたようなノスタルジックな雰囲気の直営店には、驚くほど色々なお醤油が並んでいます。
創業昭和19年。日本醤油工業のルーツは、明治23年に旭川最初の入植者・鈴木亀蔵氏らが興した笠原酒造店。時代の流れと共に、酒造りから醤油造りへと変化し、昭和19年に日本醤油工業として歩み始めます。現在の社屋は明治時代に建てられ、長い歴史を刻んできました。
「伝統と技術をしっかり守り、それを土台に常に新しいものにチャレンジしていきたい」と代表の浅利邦章さん。その信念のもと、商品開発への挑戦を続ける同社。そこから生まれた一つが、「桜花しょうゆ」です。同商品は3年前に開発され、昨年も大好評だったヒット商品。今年も3月から発売が開始されました。
「他にはない、当社でしか作れないものをと考え開発しました。苦労した点は、琥珀色を出すことと味作り。
琥珀色は、濃口醤油を脱色して実現。ほんのり桜の香りがしますが、化学調味料も香料も入れていません」と同社の鈴木学さん。桜は国産の八重桜。日数が経つと瓶の中で花びらが開き、色も変化していきます。最初のひと月は、桜の色の変化を楽しんで、それから開栓して香りを味わう。そんな二倍の楽しみがあります。
色が薄いので、お浸しや出し巻き卵など、素材の色を生かしたいお料理にピッタリ。価格は、一本(150ml)600円。食卓に一瓶あると、なんとなく幸せな気分になります。桜ごはんの素、桜色の桜塩との3点をセットにしたギフト用品もおススメです。
他にも、しじみ、しそ、舞茸、ホタテ、かきなど道産素材の醤油が色々。「北のハイグレード食品+(プラス)」に選ばれた、スープとしてもドレッシングとしても楽しめる「スードレ」など、日本醤油工業ならではの商品が多彩です。
また同社で醤油造りの際に使われていた濾布で作ったエコバックも販売。長年かけて染まった醤油独自の色合いと風合いが、独特の雰囲気を醸し出している逸品です。
概念を打ち砕き、新しい味を発信し続ける日本醤油工業。直売店では、各商品の味見もさせてくれます。歴史ある建物の中で、昭和の香りと、醤油の香りに包まれてみませんか。
日本醤油工業株式会社
旭川市曙1条1丁目
TEL.0166-22-1471
日本醤油工業株式会社
TEL.0800-800-7772
営業時間/9:00〜16:00(お盆・年末年始はお休み)
「卵かけご飯」の巻
たまにご飯に卵をかけてみる。なぜたまになのかというと、ご飯に何かかけるとすれば、うちではもっぱら納豆だからだ。世に納豆がなければ毎日卵をご飯にかけていると思う。
というくらい好きなのだが、実は生卵の食感がちょっと苦手。溶き卵の、よくほぐれていない時の「ぬるん」というか「どぅるん」としたあれだ。
だからA型の性格を発揮し、チャカチャカと箸を高速回転。卵がサラサラの液状になるまで細かく溶いてから食べる。
それじゃ生卵の良さが台無しだ。「ぬるん」がなかったら、それはただの卵汁じゃないかと、そんな教育的指導を入れてくるのは大概、ご飯の真ん中にくぼみを作ってそこに卵を直接落とす派だ。醤油をかけたらざっくりと混ぜ「ぬるん」ごと飯を掻き込む。そして、うーん、これぞ卵かけご飯の醍醐味よと言うに違いない。
それはそれで良いと思うがその代わり、我が「サラサラ」系も卵かけご飯の一つとしてお認め頂きたい。汁だと揶揄された溶き卵も、ご飯と相まみえることで「ぬるん」系にはないふんわり感を生む。それもまた醍醐味なのだ。
そのようにして、卵かけご飯は案外繊細なものであるにも関わらず、その呼び名は、卵をかけたご飯、という事実がそのまんまで単純。巷ではTKGと呼んで面白がっている節もあるが、とどのつまり頭文字の羅列だ。
ご飯にバターを乗っければバターライスなんて呼び名もあるのに、エッグライスとは誰も呼ばない。いや待て、醤油をかける日本の味は日本語で。
とかなんとか、チャカチャカに時間をかけると、どうでもよいことにうつつを抜かしてしまうが、食べ物の話は楽しい。
「ちょっとこだわり」 まずご飯と醤油なしの溶き卵よく混ぜる。そこに醤油をちょっとずつ。そうすると卵と醤油の味がそれぞれ引き立って美味しい。
「もひとつこだわり」 バター醤油がウマイ! バターとチーズをご飯に混ぜ溶かす。そこへ卵黄を乗せ海苔を散らし(黒胡椒も可)醤油をかけ混ぜながら食べる。